――さあ、まずは何色のクレヨンを作りましょう?
どこかの教室から微かに、そんな歌声が聴こえてきた。
誰もいない筈の、夜の教室から。
俺以外にも忘れ物を取りに来たやつがいるのだろうか。そう思いながら、無意識のうちに足が歌の聴こえる方へと動いていた。
――そうね、それじゃあ赤いクレヨンが欲しいわ
童謡か何かなのだろうか。
しかし、それにしては聞いたことのない歌詞だ。
それに……なんだか、嫌な感じがする。
――それでは赤いクレヨンを作りましょう
――心臓をナイフの切っ先で破り 真新しい鮮血を使いましょう
一瞬にして寒気が走る。
なんだ、この歌は……
心臓? 鮮血?
どちらも童謡とは程遠い。
思わず息を呑み、立ち止まる。
歌はまだまだ終わらない。
――その血に脂を混ぜ、固めましょう 固めましょう
――ほら、赤いクレヨンの出来上がり
ようやく動けるようになった俺は、再び歌声の方へと歩き始める。
もっとも、恐怖が拭えた訳ではなかったが。
――さあ、次は何色のクレヨンを作りましょう?
――そうね、それじゃあ紫のクレヨンが欲しいわ
――それでは紫のクレヨンを作りましょう
今度は何を使うと言うんだ。
薄気味悪い歌だ、と思いながらも歩く。
ちらりとすぐ横の教室を見ると、そこには「1-5」という札があった。1年は9クラスあるから、校舎の中ほどまで来たことになる。
まだ歌声は遠い。ということは校舎の一番奥の、1組にいるのだろうか。
――手首をナイフの切っ先で抉り、溢れる青い血を使いましょう
――その血に脂を混ぜ、固めましょう 固めましょう
……嫌だ。
もう聴きたくない。
頭ではそう思っているのに、身体が言うことを聞かない。
まるで何かに呼ばれているかのように、歩き続ける。
――ほら、紫のクレヨンの出来上がり
止まれ、止まれ、止まれ。
どうして言うことを聞かないんだ!
――さあ、次は何色のクレヨンを作りましょう?
――そうね、それじゃあ
――それでは橙のクレヨンを作りましょう
次の材料は何なのだろう。
そう考えている自分に気づき、怖くなる。
聞きたくない筈なのに、俺の意思など関係ないとでも言うように、脳は動き続ける。
――皮を剥いでナイフで刻み、搾り取った汁を使いましょう
「う……」
想像して、吐きそうになる。
狂ってる。
こんな歌を作るなんて、どうかしているとしか思えない。
――その汁に脂を混ぜ、固めましょう 固めましょう
歌っているやつにしてもそうだ。
どうせ、気の触れたやつに決まってる。
――ほら、橙のクレヨンの出来上がり
横目で教室を見る。「1-3」の札。
大分歌声が近くなってきた。
と、そこで突然歌の曲調が変わった。
――さあ、最後のクレヨンは何色にしましょう?
――いいえ、もう材料がないの だから作らなくていいわ
――材料ならば、ありますよ ほら私の目の前に!
嫌な予感がする。
――待って頂戴、それは私の……
それ以上、言っては駄目だ。
――桃色のクレヨンを作りましょう
それは、彼女の。
――嫌よ 私はクレヨンにはなりたくないの どうかどうか、命だけは
――仕方ないですね 特別ですよ?
諦めたのか、と少しだけ安堵する。
――殺さないであげましょう
気付けば俺は、歌い主のいる教室の前にいた。
――それから彼女は、意識を失った……
歌い主の姿を見ようと、そっと教室を覗く。
――しかし 彼女は生きている
そこにいたのは、黒衣に身を包んだ、髪の長い女性だった。
おそらく、俺と同じくらいの年齢の。
――
彼女が動く度に黒の外套がひらひらと揺れる。
歌い続けているところを見ると、どうやらこちらには気付いていないようだった。
――首だけの姿となっても
くるくると舞い踊っていた彼女は、不意に動きを止めた。
そして、しっかりと俺の目を捉えて、言った。
「……ねぇ、そのクレヨンは、だれの命?」
「……いつから、気付いていた?」
「貴方が学校に来たときから」
そう言って彼女はくすくすと笑う。
からかわれているのだろうか。
「それは、俺をからかってるのか?」
「ううん、本当なんだよ。だって」
それまでの笑顔とは比べものにならないほどの、飛び切りの笑顔で、
「この学校は、私だから」
そう言ったのだった。