*
おじい様とその奥様との子供は、二人いました。
一人は長男として、もう一人は長女として産まれたのです。
その長男が呉羽一族の次期当主となるのは、当然の事でした。
長女の娘として産まれたあたしは、当然のように分家となったのです。
しかし、分家だからといって甘やかされることなどありませんでした。
それどころかあたしは「呉羽の血を継ぐ者」として扱われたのです。
学校に行けばぎこちない笑みがあたしに向けられ、
一緒に遊ぶ友達は皆、あたしの後ろの「呉羽家」を見ていました。
誰も、あたしを――「岸 文乃」を見てくれる人はいませんでした。
あたしは必死で堪えていました。
こうすることが、呉羽家の為でもあるのだと、自分に言い聞かせていました。
結果、抑圧された感情は蓄積され、ストレスばかりが増えていったのです。
それでも、あたしは笑っていました。
たとえ誰も、あたし自身を見てくれなくても、「呉羽の血を継ぐ者」として振る舞わなければならないと。
それがあたしにとっての、「呉羽家の重圧」でした。
小学3年生の、ある日のことでした。
その日は3年生全員で遠足へ行きました。
そこで、あたしと一人の男子児童は口論をしていたのです。
口論のきっかけは、とても他愛のないことだったのでしょう。今では思い出せません。
しかし彼は、その口論の最中に、あたしに向かって容赦のない言葉の牙を向けたのです。
「お前なんか、呉羽家でなければ誰も相手になんかしない」
「俺たちは、お前が呉羽家の血を継いでいるから相手にしてやってるだけだ」
「お前からそれを引いたら、人間としての価値なんか残らない」
彼はそう言ったのです。
あたしも、わかっていたつもりでした。
周りの人に、そう思われていることは。
けれど。
そのときのあたしには、どうしても許せなかった。
あたしがどれだけ、呉羽一族だからという理由で嫌な思いをしてきたか、知らないくせに、と。
あたしがどれだけ、他の人たちを羨んだか、知らないくせに、と。
長年の間あたしを押さえつけていた枷が、外れた瞬間でした。
気付けばあたしは、その男子児童に飛びかかっていたのです。
ガツッ。
あたしが飛びかかったせいで、バランスを崩して倒れた男子児童の頭の下には、大きな岩がありました。
そして、みるみる広がっていく紅い血だまりも。
はっとなったあたしは、急いで先生を呼びに行きました。
彼は救急車で搬送され、不幸な事故として処理されました。
……彼は、助からなかったのです。
あたしは泣きました。
何度も何度も、あたしのせいだと言って、泣きました。
しかしその時あたしは感じていたのです。
胸のつかえが、おりるような感覚を。
それから数年たったある日、おじい様からあるお話を聞かされました。
おじい様の人生を狂わせたという、一人の男の話です。
話を聞いてふと、あたしは思いついたのです。
その男に、おじい様の代わりにあたしが復讐すれば、おじい様はあたしを認めてくれる。
お父様もお母様も、あたしを認めてくれなかったけれど、おじい様だけは……
「呉羽の血を継ぐ者」としてではなく、「岸 文乃」として、認めてほしかったんです。
おじい様がその男をまだ憎んでいることは、子供のあたしにもわかりました。
だからあたしは提案したのです。
この、ゲームという名の復讐を。
*
「おじい様、今まで隠していてごめんなさい。あたしは、おじい様の為に頑張ってたんじゃないんです。すべては、あたし自身の為だったんです。今話したことが、事実なんです」
自らの物語を語った少女は、そう言って力なく笑った。
それは、どこか悲しそうな笑みだった。
「……これが、このゲームを始めた理由。……これで、満足ですか」
「……有難う。教えてくれて」
私がそう言うと、文乃ちゃんは大きく目を見開いてから、その目を閉じた。
そして再びその目が開かれたとき、そこに映っていたのは。
狂気と、殺意だった。
「それじゃあ、お話はこれで終わりです」
文乃ちゃんの手が、ホルスターにかけられる。
「みなさん、あたしとおじい様のために……死んでください」
ぱん、ぱん、ぱん。
二挺の拳銃が火を噴いた。
「ぐっ……!」
「うあっ……!」
「っ……!」
正確で、それでいて素早く無駄のない動きだった。
三つの弾丸は、三人の急所に撃ち込まれたのだ。
秋飛ちゃんはぐらりと上体を傾けて倒れたが、それでも必死で意識だけは保っていた。
白雷さんはその場にうずくまり、片手をついて痛みをこらえているようだった。
咲弥さんは――床に倒れたまま、動かなかった。
「あれ、意外としぶといですね。でも、次でとどめ……」
「させるかよ、んなこと」
「あ……吾九汰、くん…!」
「……後ろががら空きだ」
それまでずっと話を聞いていた吾九汰くんが、文乃ちゃんに拳銃をつきつけながら言った。
「…なるほど。武器倉庫の拳銃が一挺足りないと思っていましたが、あなたが持っていたんですね」
「ああ。白雷さんからもらった」
かち、と安全装置を下ろす。
「射撃の腕は、確かにお前には劣る。けどな……」
鋭い目で、きっと文乃ちゃんを睨みつける。
「ゼロ距離なら、外さねぇよ」
ぱん。
「あああああああああああああああああああ!!」
肩を押さえながら、文乃ちゃんは絶叫する。
「今のは、久遠寺の分だ」
吾九汰くん――海蓮の目に、殺意の色が浮かんでいる。
ぱん。
「う……ああああっ!!」
「これが、咲弥さんの分だ…!」
「もうやめて! 吾九汰くん!!」
「海蓮! あたしに逆らってタダで済むと思ってるのですかっ!!」
だだだだだだだだ。
「ぐ……あっ……!」
どさりと、目の前の人物が倒れた。
「あ………吾九汰くん……!!」
「……………う…」
まだ、意識はある。
マシンガンの照準が合っていなかったからなのだろう。傷は少ないようだった。
それでも、危険な状態であることには変わりない。
「大丈夫!? し、止血……!」
「……文乃、お前も道連れにしてやる…」
震える手で、銃口を文乃ちゃんに向ける。
「か……海蓮っ…!」
「……さようなら、お嬢様」
ぱん。
糸の切れた操り人形のように、文乃ちゃんは倒れ伏した。
「あ……あくた、くん……」
「……雪野。ごめん、な……こんなとこ、連れてきて………」
さっきまで荒かった呼吸が、弱々しくなっていく。
「言えなくて……ほんと、悪い……」
「いいよ……そんなの、もういいよ……だから、もう帰ろう…?」
「…はは、俺……やっぱ、駄目だな。ちゃんと……守って、やりたかった、のに…………」
ふるふると、首を振る。
「そんなことない。駄目なんかじゃない! 駄目なんかじゃ……ないよ……!」
ぽた、と涙が頬を伝って落ちた。
吾九汰くんの呼吸が、弱くなっていく。
「…そっか。………でも、帰るのは……無理、みたいだ……」
目を細めて、吾九汰くんは笑う。
「………俺、たちは……きっと…この、館に……囚われて、るんだ、ろうな………」
その言葉に、私は固く拳を握りしめた。
誰もが囚われていたのに、私はただ、自分のことを考えることしかできなかった。
「…だけど、よかった………最期に、お前と……いられて…」
「……最期なんて…言わないでよ…!」
ぽろぽろと、涙が伝うのにも構わず、吾九汰くんの手を握った。
そして、悲しい笑みを浮かべて、吾九汰くんは言った。
「ありがとうな、美優……」
その言葉を最期に、吾九汰くんは事切れた。
私はしばらくの間、手を握ったまま泣いていた。
握った手から、少しずつ体温が消えていくのを感じ、また泣いた。
何分ほどそうしていただろう。
私は涙を拭き、吾九汰くんに向かって両手を合わせた。
そして立ち上がり、私が戦うべき相手を見据えた。
車椅子に座った老人は、何も言わずに私を見ていた。
「……呉羽さん、これが…あなたがしたかったことですか」
「…………」
「沢山の人が死んで、あなたの孫も死にました。これが……本当に、あなたが求めていたことだったんですか」
老人は答えない。
「……呉羽さん、私は………私はあなたを、絶対に許さない」
「…ああ。そうだろうな」
「こんな…こんな負の連鎖を生み出したあなたを、許すわけにはいかない」
「……だとすれば、どうするというのだ」
静かに、老人は問うた。
私は一瞬、答えに迷った。
しかし、その迷いもすぐに消えた。
「あなたを殺せば、この連鎖が切れるなどとは、思ってません。ただ…私には、彼を殺された恨みがあります。そして……ここにいる人たちの無念も、私が背負います」
床に落ちていた、秋飛ちゃんが呉羽さんの足に突き立てていたナイフを拾い、その切っ先を向ける。
「…………主催者の死をもって、私はこのゲームを終わらせます」
老人は表情を変えず、ただ小さく、そうか、と言った。
私は老人に向けて、ナイフを突き立てた。
老人は、笑っていた。
そして、私に向かってこう言った。
「ありがとう」と。
わかっていた。
呉羽さんが、悔いていたことは。
そして、私に殺されることを望んでいたということは。
ちゃんと、わかっていた。
それでも。
私にはわからなかった。
本当に、これでよかったのか。
本当に……私は、止めることができなかったのか。
もしかしたら、止めれたんじゃないか。
でもそんなのは、過ぎてしまった今ではもう、どうすることもできないことで。
私はしばらくその場に佇んだ後、警察に電話をかけようとして、圏外だということに気付いた。
呉羽さんの部屋の机に置かれた固定電話。
その電話の受話器を取って、私はボタンを押した。
*
『人生とは選択の連続である』
いつかどこかで聞いた言葉だ。
この言葉を聞いたとき、私は「当たり前のわかりきったことじゃないか」と思ったものだった。
だが、そのときの私を、今の私はこう思う。
「…まったく、愚かだよね」
何もわかっていないくせに、わかったような口を。
本当に、愚かしい。
あの地獄の日々を経験した私は、そう思う。
あの日過ごした屋敷の前に、私は立っていた。
今ではもう、警察の姿はない。
私はほんの少しだけ躊躇ったが、屋敷の扉を開け、中に入った。
*
近所の者の通報を受け、警察と消防が駆けつけた時には、既に火は屋敷全体を覆っており、手のつけられない状況だった。
数ヶ月前に事件があってから、その屋敷の周りには誰も行かないようになっていた為、警察も消防も、中には誰もいないだろうと判断し、消火活動を優先させた。
しかし、屋敷の火を何とか消し、消防隊員が屋敷内に入ると、一人の人間の遺体があったという。
出火元も、その人間のいた場所だったのではないかとされた。
その人間の身元は、まだわかっていない。