例の青色の扉を開け、店の奥へと入っていく。
その部屋もやはり店と同じように、すべてが青色だった。
店主がこちらへ、と言って彼を呼んだ。
そして部屋の中央にある電話ボックスくらいの大きさの小さな部屋に彼は入り、扉が閉まった。
まるで棺桶だな、と彼は思ったが気にならなかった。
ようやく彼の悩みが解決されるのだから―――
しばらくして、その部屋の外から店主の声が聞こえてきた。
「聞こえますか?」
「はい、聞こえます。」
「狭い部屋で申し訳ありません。そこに椅子があるはずなので、どうぞお掛けください。」
暗い部屋の中で、手探りで椅子を探した。
下のほうで手に何か硬いものに触れた。どうやらこれが椅子らしい。
彼はゆっくりと慎重に座り、指示を待った。
「…それでは始めたいと思います。準備はよろしいですか?」
「はい。お願いします。」
「では、あなたは治したいお二人の顔を思い浮かべてください。できるだけ正確に、細部まで思い出してください。それから、治ることを願っていてください。」
「わかりました。」
彼は目を閉じて、妻と娘の顔を思い浮かべた。いつも見慣れているはずなのに、どうしても細かいところまでは思い出せなかった。
そして、願う。
『治れ、治れ、治れ』と。
そうしている間にも、僅かに店主が何かを呟いているのが聞こえてくる。
何を言っているのだろう、と思い聞いてみたが、よく聞き取れなかった。
「…もっと鮮明に思い浮かべてください。」
店主の声。
彼はそれではっとしてまた二人の顔を思い浮かべることに専念した。
どれだけの間、そうしていたか彼は覚えていない。
それだけ一生懸命になっていたのだ。
地震が起きていても、そのときの彼は気づかなかっただろう。
いつの間にか店主の呟きが聞こえなくなり、少しだけ明るくなった。
彼の入っている部屋の扉の上部分が窓のように開かれたのだ。
「…終わりましたよ。」
「つ、妻は…娘は治ったんですか?」
「…電話で訊いてみてください。きっと治っているはずです。」
彼はあわててポケットから携帯電話を取り出し、家に電話をかけた。
プルルル、という音が何回かした後に妻が電話に出た。
「はい。」
「俺だ。…眼、お前の眼、どうだ?まだ見えるのか?」
「あなた…ううん、見えないの。さっき急に見えなくなって…あの子もそうなのよ。本当にいきなりで二人でびっくりしてたところだったのよ。」
そう聞いたとき、彼は思わず何も言わずに電話を切ってしまった。
治った。
本当に治ったんだ。
嬉しくて、それをすぐに店主に伝えた。
「二人とも、治っていたよ。」
「そうですか、よかったです。」
「本当に…ありがとう。あなたのおかげです…!」
店主は微笑んだ。
例の、どこか冷めた眼で。
「…それでは、お代のほうですが…」
「ああ、はい。今出ます。」
彼は扉を押す。
しかし、扉は開かなかった。
ガチャガチャという音がするだけで、開く気配すらない。
「あ、あれ?あの、すみません。」
顔を上げると、窓の部分が閉まっていた。そこも開かなかった。
一瞬で彼は青ざめた。
閉じ込められたんだ、そう彼は思った。
扉を叩く。
ドンドンという音はするが、やはり開く気配はない。
「開けてくれ!ここから出してくれ!」
「…お代は、頂きましたよ。」
「な、何を言っているんだ!」
「お代はあなたの体です。本来ならあなたの眼を頂くのですが、4つも眼はありませんからね。」
「ふざけるな!そんなもの払えるわけがない!」
「…だから言ったのですよ。なんでもだなんて、あまり簡単に口にしないほうがいいと。」
「!」
確かに彼はなんでもすると言った。
だが、こんなことになるとは思っていなかったのだ。
「た…頼む!せめて、二人の顔を見させてからにしてくれ!」
せめて最後に一度、二人が笑うところを見たかった。
だが、聞こえてきたのは微かな忍び笑い。そして、
「馬鹿なことを言わないでくださいよ。そんなことが信じられるとでも?あなたが逃げないという保障はないでしょう?」
彼を嘲るような言葉だった。
しかしそれは正論といえた。
「信じてくれ!必ず戻るから!」
必死で頼んだ。
すると窓が開かれ、店主の微笑が見えた。
先ほどまでとは違い、目も笑っていた。
信じてくれた。
わかってくれたんだ。
そう思った彼に、店主は優しく言った。
「信じられませんね。ここで死んでください。」
刹那、彼の左胸に熱いものが触れた。
その熱い感覚はやがて痛みへと変わる。
刺されたのか、と彼が思った頃には、小さな部屋の中は血で濡れていた。
ぼんやりとした視界で、胸から伸びる剣を見た。
それは扉から出てきていた。
彼はようやくすべてを理解した。
ああ、俺はここで死ぬんだ、と。
そしてこの小さな部屋が、彼自身の柩だったということを。