*
人と一緒にいるというのは、私には疲れることだった。
囲われているとはいえ、また壊してしまうかもしれない、と思うと、怖かった。
私が、私自身を抑え込まなければならない。
そうでないと、また……
そう考えて、軽く頭を振った。
駄目。
せっかく外に出たのに……
しばらくぶらぶらと歩いていると、妙な二人を見つけた。
あれは確か…同じクラスの…誰だったか。名前が思い出せない。
こんなところで会うなんて…
そう思いながら見ていると、急に笑い始めた。
…不気味だ。
笑い方が普通じゃない。
いつの間にか一歩後ずさっていた。
あの二人が何故あんな風に笑っていたのかがすごく気になったけど、とにかく見つかるわけにはいかない。
あんなに楽しそうなのだから、邪魔をしては悪いだろう。
私はその場を離れた。
とはいっても、行きたい所があるわけでもなく。
それに私はこの町に来てから2ヶ月ほどしか経っていない。
クラスにも馴染めず、学校生活の大半は一人だった。
こっちに引っ越してきてからも、それは変わらなかった。
でも、それでいいと思っている。
私と関わると、ろくなことがない。
だから……
私は、孤独でなければならない。
私は、この世界に必要のない人間なのだから。
ずきん。
こめかみの辺りが痛い。
ここのところ、ずっと。
昔は頭痛なんて風邪を引いたときくらいしか起こらなかったのに。
何故こんなにも、
痛いのだろう………
*
「…あれ?」
紀藤さんがそんな声を出した。
「どうした?」
「いや…今の、簗瀬さんじゃなかった?」
簗瀬………
ああ、
数ヶ月前に引っ越してきた……
「どうしたんだろ、制服で……」
「え、制服だったの?」
「うん。そう見えたけど……」
紀藤さんは目がいいから、多分そうだったのだろう。
両目とも、1.5らしい。
因みに僕は両目とも0.2だ。
裸眼で数m先のものが見えない。
なので僕は常に眼鏡をかけている。
コンタクトレンズは怖くて付けれない。
「……どうする?」
「うーん……微妙だなぁ…」
紀藤さんは頭をかく。
「あたし的には話しかけても良さそうだとは思うけど、そういうのが嫌だっていう人もいるからね…」
それはなんとなくわかる。
僕の友達で、そういう奴がいる。
無口で、学校外で知り合いと会うのが嫌いな奴が。
「……まぁ、明日学校で話しかければいいんじゃないか?」
「そだね。今から追いかけていくのもちょっとアレだし。」
ということで、僕たちは予定通り本屋に向かった。
心のどこかで、簗瀬さんのことが引っかかりながら。
*
「……そうだ、参考書…」
忘れるところだった。
引っ越してきて間もないけれど、受験はやってくるのだから。
それだけでも対策はしておかないと…
仕方なく、私は近くの本屋に入った。
「………!」
しまった。
そう思ったものの、入ってすぐにUターンする訳にもいかない。
そんなことをすれば逆に目立つだろう。
どうして、またあの二人が……
その本屋には、確かにあの(名前が思い出せない)二人がいた。
見つかって話しかけられるのは避けたい。
校外で同級生と会うのがあまり好きではないから。
参考書だけ買ってすぐに帰ろうかとも思ったが、参考書は店の奥だ。
小さな本屋だから、見つかる可能性は高い。
仕方なく、本を見る振りをして、外に出た。
「……………」
どうするか。
店の前に自転車が2台。
あの二人のだろうか。
もし…他の本屋にも寄る予定があったら……
今日はもうやめておいた方がいいかもしれない…
そう思い、家に向かって歩き出した。
*
嗚呼、いよいよ明日か。
僕たちの県は私立が2月上旬にあり、公立が3月中旬にある。
そして、明日が私立の入試だ。
「緋谷くんって確か明日と明々後日だったよね、入試。」
「あぁ……そうだけど……」
紀藤さんは明後日から二日間らしく、まだ余裕そうだ。
…まぁ、学力的なものもあるのだろうけど。
「ま、緊張しないようにね。解ける問題も解けなくなっちゃうし。」
「わかってるよ…」
「で、それはさておき。碧くんが呼んでるよ?」
「え、碧が?」
因みに碧というのは名前ではなく苗字だ。
僕の数少ない親友であり、幼稚園からの幼馴染だ。
昔、小学校だったか、彼の名前を見て、
「それで「あきたか」って読むのかよ。変なの。」
と言った覚えがある。
その時に碧が言ったのが、
「尭っていうのは、高いっていう意味らしい。空のように高く育ちますように、っていうことで、付けたんだとさ。」
ということだった。
その頃から碧は頭が良かった。
素晴らしく良かった。
だが、消極的な人間だったため、上を目指そうとはせず、僕と同じ高校を受けるということだった。
まぁ、努力しなくても大抵の事は出来ていたけど。
そのせいもあってか碧は口数が少ない。
さらに笑う回数も少ない。
それでも、ちゃんと話を聞いてくれるところや、相談に乗ってくれるところがいい。
思ったことをズバズバと遠慮せずに言ってくれる。
…あそこまで真剣に他人のことを考えてくれる人は、滅多にいないと思う。
だからこそ、彼と知り合えてよかったと思う。
「おい。」
「うわっ!」
急に現実に引き戻された。
「緋谷…珍しいな、俺が話しかけても返事ひとつしないとは。」
「え……い、いつから?」
「お前が叫ぶ10秒ほど前。」
淡々と言う。
「そういえば、碧くんも緋谷くんも、苗字で呼ぶんだね。」
「紀藤さん…それには訳があるんだよ。」
確かあれは小学4年になったばかりの頃。
僕が碧を名前で呼んでいた時のことだ。
『えーと…ひたに、たかしくん。』
先生が出席を取る。
『…あかや、です。先生。』
『え…?あ、あぁ、あかやくんね。』
勿論わかってたわよ、ちょっとうっかりしてただけなの、という顔で先生が答えた。
『…え、えーと……みどり……そら………』
『あきたかです。』
『あ、あきたかくんね。ごめんなさいね、先生、この学校に来たばっかりだから…』
苦笑いを浮かべて言った。
しかし、その翌日もそのまた翌日も、先生は間違えて名前を呼んだ。
その度に先生は僕らに謝り、苦笑いを浮かべていた。
だが、ある日突然先生は僕たちの名前を間違えなくなった。
言い淀むこともなかった。
どうしてか、と訊ねると、先生はこう言った。
『赤と緑はふたつでひとつ、空は秋こそ高くなる。』
意味がわからなかった。
『今の、先生が考えたの。赤と緑っていうのは、反対色って言って正反対の色なんだって。だからふたつでひとつ、ワンセット。空は秋に高く感じるから。こうすれば忘れにくいかなって。』
語呂がいいでしょ、と笑う先生。
リズムがよく、いつしか僕たちはそれを覚えてしまった。
その頃から親友だった僕たちは、ふたつでひとつ、というのが仲がいい、という意味と捉え、苗字で呼ぶようになった。
「へぇ…赤と緑で、かぁ…」
「だから、今でも苗字なんだけど……あのさ、何でそんな不機嫌そうな顔してるんだよ。」
「いや……あたしもそういう色の名前とかだったらなぁって。」
「……俺はいい名前だと思うけど、琉惟って。」
珍しく碧が言った。
「そ、そうかな……」
心なしか、紀藤さんが照れているような気がする。
「そっ、それよりさ、どうしたの、碧くん。あ、あたしがいないほうが良かったりする…?」
「別に。大した用ではないから。」
「…大した用じゃないって…お前から話し掛けてきてるのに?」
「ああ。手伝ってほしいんだ。」
「何を?」
「…今は言えない。」
「…じゃあ、僕はどうすればいいんだ?」
「…付き合ってほしいんだ。」
えっ、と紀藤さんが声を上げた。
「………どこに?」
「俺の家に。」
「何をしに?」
「…後で言う。」
なんだろう…歯切れが悪いな。
言いたいことをズバズバと言う碧らしくない。
が、思い当たることがないわけじゃない。
多分……家族絡みだ。
それ以外で、こんなに歯切れが悪くなるようなことは思い当たらない。
一つ、ため息をつく。
「…わかったよ。で、いつなんだ?」
「今日だ。だが…泊まるのを覚悟で来てほしい。どれくらい時間がかかるのか、想像がつかない。」
「…わかった。帰ってからすぐ行くよ。」
「ああ、すまない。」
「別に。僕に出来ることなら手伝うよ。いつもは頼りっぱなしだからな。」
そう言って笑って見せた。
碧も少しだけ口の端を上げる。
滅多に見せない微笑だった。
*
学校が終わると同時に、私は家に帰った。
入試は明後日だけだけど、早く帰りたかった。
理由はわからない。
ただ、嫌な予感がした。
玄関の扉を開けて、中に入る。
鍵が、かかっていない…
いる。
あの男が。
居間に入る。
やはり、あの男はそこにいた。
「…出ていってください。」
「いやぁ、久しぶりだねぇ。元気だったかい?」
父の弟、私の叔父にあたる人だ。
私の、大っ嫌いな人。
「早く、出て行って。」
そう言っても、叔父は肩をすくめるだけで動こうとしない。
「何でそんなに俺を毛嫌いするんだ?君の叔父さんなのに。」
「うるさいっ!父さんを殺したくせにっ!」
交通事故の原因は、この人にあった。
この人が昼間から大量の酒を飲み、酔っているにもかかわらず車を運転した。
それで、父さんを轢いた。
私から父さんを奪ったこの人を憎まずに、どうしろというのだろう。
「あれは…酔った勢いだったんだから、しょうがないだろ?」
「あんたが飲酒運転なんてしなきゃ、父さんは死んでなかった!」
「だぁかぁらぁ、兄さんは運が悪かったんだって。どっちにせよそんなに長生き出来やしないんだからさぁ…」
「…どういうこと?」
「兄さん…お前のお父さんは、狙われてたんだよ。サツにな。」
サツ…警察のことだろう。
だけど、何故?
「なんにも知らないんだな。お前の父さんは―――」
聞きたくない。
そう思った。
でも、もう遅かった。
「人殺しなんだよ。立派な。」