「あーあ…」
学校へ向かうためにいつも乗っていた電車が行ってしまった。
次の電車に乗らなければ、確実に遅刻だ。
…あいつ、今日は遅いな…
と思って腕時計を見た瞬間、凄い勢いでうちの学校の制服を着た男子が走ってきた。
「おはようございます!姉御!」
「…頼むから、その呼び方はやめてくれ……」
私は奴に心からお願いする。駅構内でそんな風に呼ばれたら、周りの人に何事かと見られてしまうではないか。ただでさえ目立つというのに…
「じゃあ…姉貴っすか?」
「いや、そういう問題じゃないし…普通に呼んでくれればいいから。」
というか、普通に呼んでくれ。
「…はあ、じゃあ…天西先輩、おはようございます。」
「ああ…おはよう。」
朝から私を姉御と呼んだ彼は、矢頼 誠眞という名の、高校1年。つまり私の後輩だ。
2年の私とは、ある共通点がある。
矢頼も私も、身長がコンプレックスなのだ。
身長171cmの私と、147cmの矢頼。
真逆ではあるが根本は似たようなものだ。足して2で割ることができれば丁度いいのに。
矢頼はあれ以来、私を何かと慕っているようだ。(因みにこの場合の「慕う」の意味は憧れのようなものだ。)
思えば、こいつと会ったのは単なる偶然だった。
あれは2ヶ月前の入学式の日のこと。
私はちょっとした野暮用で、バスで叔父のところへ向かう途中だった。
このあたりのバスは後払い制なのだが、トラブルがあったのだ。
バスを降りようと席を立つと、何やら運転席のあたりでもめているのが見えた。
よく耳を澄ませてみると、こんな会話が繰り広げられていた。
「おっさん!だから言ってるじゃないですか!俺は今日から高校生なの!」
「あのなあ、背伸びしたい気持ちはよーくわかるけど、嘘は、ついちゃ駄目だろ?」
「だーかーら、ほんとだって言ってんだろ!」
「なら生徒手帳でも見せてみなさい。」
「う……それは…まだ出来てないんだよ…」
「ほらな。やっぱり嘘だったんだろ?」
「だからなんでそうなるんだよ!」
徐々に2人の声は大きくなっていき、耳を澄ませなくてもわかるほどになってきた。
今日から高校生、出来ていない生徒手帳…うちの高校もそうだったな、そういえば。
もめているのが誰なのか見ようとするが、バスの中は人口密度が高く、見ることが出来なかった。
溜息をつき、バス代を財布から出してから運転席に向かう。
「おじさん、これバス代。」
「こらこら君、もういい大人なんだからごまかしちゃ駄目だって。30円足りないよ。」
…顔が引きつるのがわかった。この男は……
仕方がないのでカバンの中を探る。確か入っていたはずだ。
「ほら、生徒手帳。顔写真もあるから疑いようがないでしょ。」
運転手の目の前に生徒手帳を突きつける。
ふと気になって言い争っていた奴のほうを見ると、童顔短躯の男子がいた。そいつには見覚えがあった。入学式のときにえらく背が低い奴がいるなと思って見ていたのでよく覚えている。
「それと、こいつもうちの学校の生徒ですよ。1年はまだ生徒手帳が発行されてないんです。」
一応言ってみる。聞き入れてくれるかどうかはわからないものの、本人が言い張っているだけだと思われることはなくなるだろう。
「…わかったよ。2人とも同じ料金でいいから。」
はあ、と溜息をついて運転手が折れた。溜息をつきたいのはこっちだ。
バス代を払ってさっさと降りる。やっぱり生徒手帳は持ってて正解だったけど…あのバスにはもう乗りたくないな…
「あの…さっきはありがとうございました。おかげで…」
「あー、別にいいから。私もさっきみたいな目によく遭うから、フォローしただけだし。」
「やっぱり、そうですか。…せ、先輩ですよね…?」
「…まあ。」
面倒なので生徒手帳を見せる。そこにはきちんと私の字で「天西 知世」と書かれている。
「…あまにし、ともよさん?」
「『ともよ』じゃなくて、『ちせ』だ。よく間違われるけど。」
「へえ…俺は矢頼 誠眞って言います。」
…こうしてみると、かなり偶然が重なっていることに気づく。
偶然入学式で見て覚えていて、偶然同じバスに乗り合わせて、偶然降りるところが同じで、偶然生徒手帳を持っていた…
ここまでくると、偶然と言うより必然と言った方が正しいような気がしてくる。
「そういえば先輩、あの運命的出逢いからもう2ヶ月がたつんですよ。」
「…運命とか言うなよ。ただの偶然だっつの。」
お前は女かと突っ込みかけて、飲み込んだ。…一応、童顔で女顔なの気にしてるみたいだからな…
「…ほんと、先輩が羨ましいですよ。」
「おい、大事なとこを端折るなよ。」
「ああ…先輩の身長が、羨ましいですよ。」
よろしい。
「…逆ならよかったのに……」
ぽつりと、矢頼が呟いた。
「……逆だったら、私はお前に気づかなかっただろうし、こうして一緒に登校することもなかっただろうけどな。」
「あ、それもそうですね。それについてはこの身長に感謝です。」
その言い方がなんだか可笑しくて、思わずふきだした。
「え?な、なんで笑ってるんですか?!」
「……べ、別に…あ、ほら電車来たぞ。」
笑いをこらえながら喋る。以前ならこんなちっちゃい奴と話したりするなんて考えられなかったのに、今ではそれが日常になっている。
「…ったく、ほんと、お前には敵わねー。」
「え?何がですか?」
「別に。乗り遅れんなよ!」
「え?えぇ?ちょっと待ってくださいよ!」
電車に駆け込み、今日も学校へと向かう。
生活を鮮やかに彩ってくれたこの背に、ほんの少し感謝する。
今、この高校生の間だけは。
君と少しだけ、虹色の日々を送ろう。
矢頼誠眞の場合