俺・麻那加 洸一は今、教室で一人の女子…片山 秋夜と対峙していた。
彼女は俺がこのクラスの中で割とよく話したりする女子で、少し変わった口調が特徴的なやつだ。
というのも、こいつは一人称が「僕」だったり、少しかしこまったようなことを言ったりするからだ。
外見はそれなりの格好をすれば、男とも女とも取れる中性的な顔つきなので、たまに男に間違えられるそうだ。
周りを軽く見回してみる。教室内には俺と片山以外は誰もいない。
いわゆる、「2人っきり」というやつだ。
何故、部活にも行かずに誰もいない教室の中で片山と対峙しているのかと問われれば、一言で答えられる。
俺は、片山に呼び出されたのだ。
「…それで、何の用だ?」
「いや…用というほどでもないんだが…少しだけ、話したいことがあったんだ。」
話したいこと、という言葉が少しだけ気になった。
わざわざ呼び出すほどの事なのに、用というほどでもない…
思わず、口許が緩みそうになる。
片山は友達が少ない。
それは片山自身にも問題があるわけで、その問題というのは彼女の口の利き方だったりする。
たまにこいつは、挑発的なことを口にする。
「そんなこともわからないのか、これだから馬鹿というのは困る。何に困るって説明しなければわからないということにも困るが、それ以上に、本人の対処に困る。馬鹿のやることは想像を絶するものだからね。まあ、至極単純なものだから、起きてしまえば事態の対処にはそれほど困らないのだがね。」
同じクラスになって、席が隣だったからという理由で話しかけたときに、俺が言われた台詞だ。
「よく、ぺらぺらとそんなことが言えるな。」そう言い返しても、奴には敵いっこない。
その嫌味すら、数十倍になって返ってくる。
要するに、人を怒らせる能力に長けているんだ。あいつは。
そう考えていると、片山がため息をついた。
「君は、本当に考えていることが顔に出る奴だな…数分前ににやけた顔になったと思えば、今度は妙に腹を立てたような表情…大体想像がついてしまうよ。大方僕に告白されるのではないかと考えていて、次に僕に話しかけたときのことを思い出していたのだろう?違うのなら言い返してもらっても構わないが…言い返せないだろうね。」
そ、そこまで正確に見抜かれるとは…
見事としか言えない。
「その表情を見る限り、どうやら当たりのようだな。全く、自惚れもいいとこだな。誰が君に告白すると?」
これだから馬鹿は、と言わんばかりの表情。
こういう表情も、相手の神経を逆なでするんだ。
「告白、ねぇ…そういう可能性もある、っていう考えはあったけど、さすがに確実にではなかったぜ?」
顔に出ないよう気をつけながら言う。
勿論、ほぼ確実に告白だろうと踏んでいたのだが、ここで言い返さなくては俺の名誉にかかわる。
ナルシスト、と言われるのだけは絶対に嫌だ。
「…まあ、君の必死さに免じて、忘れてあげよう。こんなことで時間をとられていては敵わないからね。」
言い方は気に食わないが、忘れてやると言っているのだから、ここは我慢だ。
「では、本題に入ろうか。時間もない。できるだけ手短にいこうか。」
さっきまでの嘲笑うかのような表情は消え、真剣な顔になった。
「君は……人間というものは、好きか…?」
…意外な質問だった。
さすがに、想定外だ。
「ま、まぁ…好き、だけど…どうしたんだよ、改まってこんな事訊くなんて…」
「…そうか。やはり君は……」
寂しそうに目を伏せる片山に、何かを感じ取った。
「…なあ、何かあったのか?」
「……………」
片山は、黙って何も答えない。
「俺に…話してくれよ。あんまり役には立たねーけど、少しは力になれるかもしれねぇし…」
初めて、こいつを心配したかもしれない。
いつも片山は自信満々で、こういうところを見せたりはしなかった。
だからこそ、こういう時くらいは頼ってほしかった。
「………何でもない。話はこれで終わりだ。」
そう言って、片山はカバンを背負って帰ろうとする。
咄嗟に、その手をつかんだ。
「………話は、終わりだと言ったはずだ。」
「勝手に終わらせんじゃねぇよ。」
強い調子で言った。そうでもしなければ、帰ってしまうのは目に見えていたから。
片山は、そんな俺を睨んだ。
今までに見たことのない目だった。
それでも、俺は引くつもりはなかった。
「なあ、聞かせてくれよ。」
「君には、聞く権利がない。僕には、君に話す義務はない。」
冷たく言い放たれた言葉には、頑なな意思が含まれていた。
「頼むよ…そんな顔されて、黙って帰れるわけねぇだろ…」
「……何故、そこまで僕に構う?ここまで言われて、何故引かない?」
冷たい目が、俺を見据える。
「俺だって…少しは、お前のことわかってるつもりだ。だから、心配で―――」
最後まで言わせてはもらえなかった。
ガタン、という大きな音がしたからだ。
音がした方向を見る。いくつかの机が倒れていた。
片山を見ると、左足がその机に向けられていた。どうやら片山が蹴ったらしい。
「…麻那加、君は僕が怒った理由がわかるか?僕のことをわかっているつもりだというのなら、少しはわかるんじゃないか?」
「…………………」
……わからなかった。
1年近く片山とはいたが、想像がつかなかった。
俺はただ、片山の心配をしただけだ。
それなのに、どうして怒る必要がある?
「その様子だと、本当にわかっていないようだな。」
返す言葉もなかった。
「その程度で、わかったなどと口にするな。不愉快だ。」
身を翻し、教室から出て行こうとする。
「ま、待ってくれ!」
なんとか片山の腕をつかんで止めたが、なんと言っていいかわからなかった。
「………まだ、何か用があるのか?僕はこれ以上話すことはない。」
冷ややかな目。
何か、何か言わなくては。
でも、一体何を言えばいい?
こんなときに限って、言葉が出てこない。
どうしたらいい?
何か…何かないのか?
「何も話すことがないのなら、僕は帰らせてもらうよ。」
「…………………す」
「なんだ?何か話す気になったか?」
「すきだ。」
…一瞬、頭が真っ白になった。
1分以上経って、ようやく何を口走っているんだ、と思った。
「…こ、これだから、馬鹿は何をするかわからないと、言ったんだ…」
そう言う本人が一番動揺しているのは誰が見ても明らかだ。
「そ、それじゃあ、僕は帰るよ。」
「ちょ、だ、ま…」
ちょっと、だから、待てって。
そう言おうとしたのだが、うまく言えない。
「と、は…ああ!」
何故こんな簡単なことが言えない!
なんだ!これは!
何かの病気か!?
そうか?そうなのか!?
それなら差し詰め病名は「頭文字症候群」だ!
ああ!何なんだよもう!
自分でも意味がわからん!
「…麻那加、1人で葛藤しないでくれないか。見ている分には面白いのだが、さすがに哀れになってくるよ。」
ほっとけ。
「ゆっくり、喋ってみてくれ。取り敢えず帰るのはやめておくから。」
「………わ、わかった……」
「それで…言いたいことがあるのだろう?」
「………なんて言ったらいいか、わからなかったんだ……」
正直に告げた。
本当は、他にも言いたい事があったはずなのに、それだけしか言えなかった。
「……今から言うことは、あくまで僕の独り言だ。聞くも聞かぬも君の自由だ。」
そう前置きすると、順序だてて話し始めた。
「僕は、人間という生き物が、好きになれなかった。理由は極めて単純なもので、人間は簡単に嘘をつくからだ。だから信じることが出来ず、好きになることも出来なかった。
人間が嫌い、その思いは自分にも向けられた。僕は、僕が世界に必要だと、1ミクロンも思ってはいない。たとえ僕が死んだとしても、世界は何も変わりはしない。もしかしたら、日本が沈没したとしても、それは変わらないのかもしれない。世界史の教科書に載って、それで終わりかもしれない。そんな風にすら思った。
麻那加は、知らないだろう?僕はかつて、自殺志願者だったんだよ。過去何回そういうことをしたか、今では覚えていない。それでも僕はこうして生きている。…何故だと思う?」
「……怖かった、とか?」
片山は首を振った。
「生きていても、世界は何の問題もなく動いていく。死んでもそれは変わらない。どうせ変わらないのなら、生きるという暇つぶしをしても、変わらないだろう。そう思った。それにもし来世なんてものがあったとしたら、僕は生きていこうという気にもなれない。どうせ生きるのなら、今を生きたいじゃないか。」
生きること自体が、彼女にとっての暇つぶし。
そう言っているのだ。
「世界で何かが起こるかもしれない。何も起こらないかもしれない。だが、その時の僕にとってはそんなことはどちらでも大差はなかった。所詮は暇つぶしだからね。」
「……なんで、そんな………」
辛うじて、そんな言葉が出た。
何を言いたかったのか、自分にもわからなかった。
「………なんで、か…僕は、人を信じることが出来なくなってしまったからなんだろうな。だから、特別親しい友人を作りたいとも思わない、今までそんなこと思ったこともなかった。全く信じていないわけではないんだが、心のどこかで「裏切られるかもしれない」と、いつも考えていた。今言ったことのどれかは嘘かもしれない、とかな。だからこそ…生きていくことが退屈で、自殺しようとも思ったのだよ。
しかし…ある時僕の中でイレギュラーと呼べる人物が現れた。君だよ、麻那加。あれだけ嫌味を浴びせ、挑発させて、不快な気持ちにさせ続けていたのに、君は何故か僕に構い続けてきた。正直、訳がわからなかった。君というイレギュラーのおかげで、僕は少しだけ退屈を忘れることができた。……だが、しかし―――」
そこで、少し間を空けた。
言いにくい事なのだろうか。眉間に皺が寄っている。
「僕はもう、これ以上…生きていたくない……」
「な…何言ってんだよ!」
衝撃的な一言に、俺は黙っていられなかった。
退屈を忘れることができたと言っていたのに、どういうことか訳がわからなかった。
「僕の中で、君の存在が大きくなりすぎた。こんな気持ちは…知りたくはなかった…」
「おい!何言って……」
言葉が、途切れた。
片山は泣いていた。
声も上げずに、ただ、涙だけが頬を伝っていく。
「いつからか、君を疑うことができなくなってしまっていた。わからなく、なっていた。同時に、裏切られるのが怖かった……それでも…疑いたく、なかった……
……君が、いなければ……現れなければ…話しかけなければ…こんな風には、ならなかった…だから…責任…取ってくれ……」
声が、どんどん弱々しいものになっていく。最後の方は聞き取るのも難しいほどに。
どうしたらいいのかわからず、俺は片山を抱き寄せた。
「…え、え〜と……な、泣くなよ………責任、取ってやるから。」
「…………………」
静かに泣く片山は、少しだけ頷いてから俺から離れた。
「……落ち着いたか?」
「…ああ。……人前で泣いたのは、いつ以来だろうか……」
そう言って、片山は訥々と昔話を始めた。
昔は、仲がよかった友人が多くいたこと。
その友人を信じていたこと。
そして、裏切られたこと。
それ以来、人が信じられなくなってしまったこと。
「……すまないな。こんなことを話してしまって……」
「いや、いいよ。ほら、片山はあんまり自分のこととか話さねぇし、聞けてよかった。」
「…そうか…ありがとう。」
「え?今なんて言った?」
後半、片山は後ろを向いてしまったので、よく聞こえなかった。
「………なんでもない。気にするな。」
片山はカバンを持って教室から出て行く。
「もうすぐ下校時刻だ。僕は先に帰る。」
「ああ……って、もう行っちゃったし…」
仕方なく、俺も帰る支度を済ませ、教室から出た。
既に片山は帰ってしまったらしく、下駄箱に靴はなかった。
「……ま、いっか。」
責任を取れ、という言葉の意味を聞きたかったのだが、それはまた今度にしよう。
明日もいつもどおり、嫌味を浴びせてくるだろうから。
そうしたらこう言ってやろう。
「お前だけは、絶対に裏切らない」と。
「……嗚呼、忘れていた…」
片山がぽつりと呟く。
責任の話をし忘れていた。
「まぁ、いいだろう。」
どうせ麻那加はいつもどおり、僕の嫌味にめげずにやってくるだろうから。
その時にでも言えばいい。
「僕だけには、絶対に嘘をついてくれるな」と。そして、
「これから先も、僕の友達でいてくれ」と。