*
「相変わらず凄いな、この家は。」
目の前に建つ家を見ながら言った。
ここが碧の家だ。
大きめの家が3軒くらい建つんじゃないかと思うほど広い庭。
4つの白い建物がその庭の中央に建っている。
そのうちの一つは他の建物より少し離れていて、少しだけ小さい。
とは言っても十分広いし、大きいと思う。
それが碧 空尭の“部屋”だ。
まぁ、建物と言ったほうが正しいんだけど。
同じクラスの人が見たら誰もがぽかんと口を開けて瞬きさえも忘れてしまうことだろう。
実際僕もそうだった。
こんな豪邸を持つ人が親友だったとは、と驚き、これ本当にお前ん家?と訊いた。
確か碧は無言で頷いて、でも俺の家はこっち、と言ってこの建物を指差した。
開いた口がふさがらないという経験を初めてした。
門についているインターフォンを押そうとして、手を止めた。
僕はこのまま堂々と入ってもいいのだろうか。
ポケットから携帯電話を取り出し、碧に電話をかける。
すぐにつながった。
『もしもし。』
「僕だけど、これって…」
『ぼくぼく詐欺はお断り。』
新しいな、ぼくぼく詐欺って。
「…緋谷だけど、これって堂々と正面から入っていいのか?」
『ああ。あとで何とかする。とにかく早く来てほしい。』
「わかった。」
電源ボタンを押し、電話を切った。
「……よし。」
インターフォンを押す。
ピンポーン、という音がして、すぐに女性の声がしてきた。
『どちら様でしょうか。』
「碧 空尭さんの親友の、緋谷 隆志という者です。空尭さんと約束をしているのですが、確認していただけますか?」
こう言わなければこの門は開かない。
お金持ちというのもいろいろあるらしい。
碧本人が確認しなければ、入ることすら許されないのだ。
『確認いたしました。どうぞお入りください。』
がらがらと門が開く。
自動で開いていく門を見て、ゆっくりと歩き始めた。
そしてまっすぐ碧 空尭の“部屋”に行く。
客であっても本館には行くことができないのだ。
扉の前まで行くと、扉が開いた。
こちらは自動ではなく、碧が開けただけだ。
「…来てやったぜ。」
「…助かった。上がってくれ。」
そんなやり取りをして、家に上がった。
*
「…どういうことなの?父さんが人殺しって…」
「そのままの意味さ。お前の父さんは人殺しだ。」
声が出ない。
言い返してやりたかったのに。
何でこんなときに限って出ないのだろう。
「それも殺した人数が半端じゃない。2、30人は殺してるんじゃないか?」
「…う、嘘だ……人殺しの言うことなんか…信じるもんか…」
「じゃあお前の父さんも信じないんだな。」
「違う!父さんは…」
人殺しなんかじゃない。
あんな優しい人が、人を…たくさんの人を殺す訳がない。
「いわゆる無差別殺人ってやつだ。銃でバンバン殺したらしいぜ。」
そんな訳ない。
父さんは銃なんか持ってない。
そう叔父に言ったが、
「そんなもん簡単に手に入っただろうな、兄さんなら。」
と言われた。
「どうしてそう思うの?」
「どうやら銃の売人と仲がよかったらしくってな。」
違う。
違う。
そんなはずがない。
「出てって!早く出てってよ!」
「おいおい、図星だったからって怒るなよ。」
「違う!出てって!」
「まあ落ち着けって。この話にはまだ続きが―――」
私は台所から包丁を持ってきて、叔父に突きつけた。
「…出てってください。」
「……ちっ!親も親なら娘も娘だな。」
その瞬間、一気に頭に血が上った。
「ぐっ…!」
そして、気づいたら、叔父を包丁で刺していた。
何度も、何度も。
血が飛び散ろうが服に付こうが構わなかった。
元の形がわからなくなった頃、ようやく私は刺す手を止めた。
息が荒くなっていたことに、初めて気づいた。
そして、自分が血で真っ赤に染まっていたことに。
「う…うぁ……」
真っ赤な手のひらを見て、そんな言葉を発した。
殺シタ。
私ガ、殺シタ。
殺シテシマッタ。
オ前ガ殺シタ。
ソレガ本当ノオ前ノ姿ダ。
醜ク、汚ラワシイ、ソレガオ前ダ。
どこかであの声がした。
「い…いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
私ガ、殺シタ。
*
「…それで、何故僕はここに呼ばれたんだ?」
「…もう少し待ってくれ。」
まだ言わないというのか、この期に及んで。
「家族関係なのか?」
「そうだ。だが…」
「どうして言えないんだ?」
そう訊いてみるが、返事はない。
僕は一度溜息をつき、椅子の背にもたれた。
碧の家には何度か来たことがあるが、なんだか今日は妙だった。
それは碧のこともそうだが、気になったのは部屋の雰囲気だった。
何故妙だと感じたのか、いまひとつわからない。
部屋は前に来たときと家具の配置も変わっていないし、荒れているということもない。むしろ整っていると言えるだろう。
それなのに、僕は妙だと感じている。
以前と殆ど変わっていない、この部屋を。
「…母が、死んだ。」
「えっ…!」
突然、碧が口を開いた。
その内容があまりに唐突すぎて、頭が追いつかない。
碧の母親が……死んだ?
「…いつ?病気か?」
碧の母親は体が丈夫ではないと碧から聞いた。
だからこそ、病気かと訊ねたのだが…
「違う。…誰かに刺されて…病院に運び込まれたけど、間に合わなかった…」
「…そういうのは、殺されたって言うもんだろ。いやそれよりも、犯人は捕まったのかよ。」
碧は首を振る。
「それで、いつなんだ?」
「…一昨日だ。母の部屋で殺されていた。」
「部屋で?それじゃ、犯人はこの家の…」
そこまで言ってから気づいた。
なんてことを言うんだ、僕は。
少なからずショックを受けている碧に対して、そんな仕打ちはないだろう。
「わ、悪い…」
「いや、いいんだ。俺も最初はそう思っていた。」
「…違うのか?」
「どうやらな。」
碧は一旦そこで言葉を切った。
見た感じでは、内容を整理しているようだった。
「…庭に張り巡らされたセンサーに、引っかかった人がいたんだ。」
「本当に人なのか?」
「それは間違いない。小型カメラにその人物が写っていたらしい。」
「ふうん…小型カメラに。」
さすが碧家。
センサーにカメラとは、恐れ入った。
…多分、それだけじゃないんだろうけど。
「それで近くの家政婦が駆けつけたところ…」
「もう亡くなってたのか…」
頷く碧。
「進入経路は窓。破られたのではなく開いていた。そこから警察は顔見知りの人物である可能性が高いと言っている。因みに凶器のナイフは見つかっていないそうだ。」
「…それで、まさか推理しろって言うわけじゃないよな。僕に。」
「さすがにそんなことは言わない。やりたければやってもいいが。」
「それを聞いて安心したよ。僕にはそういうことはできないからね。」
正直、「どう思う?」と訊かれるんじゃないかと気が気でなかった。
「じゃあ、どうして僕を呼んだんだ?」
「…少し、事情があってな。」
まだ言えない、ということか。
僕は小さく溜息をつき、
「…わかったよ。もう少し待ってやる。」
と言った。
*
どうしよう。
どうしよう。
どうしたらいい。
どうすればいい。
わからない。
わからない。
わからない―――
気づいたときには、叔父を殺してから数時間が経過していた。
殺してしまった。
私が、この手で…
いや、今はそれよりもやらなければならないことがある。
叔父の死体を、どうするのか…
私は真っ先に疑われる人間だろう。
あれだけ叔父を毛嫌いし続けてきたのだから。
だからこそ…死体を捨てるのは慎重にしなければならない。
出来ることなら地下深くに…それこそ建物を建てても見つからないような。
しかしそれは私には不可能だ。
たかが中学生の私に、そんなことができるとは思えない。
第一、そんなことをしていたら目立ってしまうだろう。
「…警察に、出頭する…」
そうしよう。
そうすれば私は、この苦しみから少しだけ解放される。
私は立ち上がり、叔父を見た。
目は大きく見開かれ、口は半開きの状態、体は既に原形を留めておらず、内臓が覗いていた。手や足だけは何とか判別できた。
叔父が倒れている床には、大量の血。
そしてその血は私にもかかっていた。
服はもう真っ赤で、べたべたとしている。
手のひらも同じようなものだった。
私が叔父を殺すために使ったナイフは、カーテンの隙間から漏れてくる僅かな光を反射して、叔父を照らしていた。
叔父の顔は酷く醜く、とても安らかとは呼べない死に顔だった。
当たり前か、と思う。
私に殺されるだなんて、叔父は思っていなかっただろうから。
驚きと苦痛が、叔父を支配していたのだろう。
ばっと口許を押さえた。
今、私は何を…
笑っていたのか、あの叔父を見て。
あの醜く汚い死に顔を見て。
笑ったのか?
ごくり、と唾を飲み込んだ。
そして私の口から、
私のものとは思えないほど恐ろしい、笑い声が漏れていた。