午前零時。
彼はひとり、公園のベンチに腰掛けていた。
ぽつぽつと灯る街灯が、暗い公園内をぼんやりと照らしているが、その光もなんとも心許ないものだった。
そんな中で、彼は僅かにできた自らの影に視線を落とし、目を閉じる。
「そんなところで、何をしてるんだい?」
目を開き、ばっ、と見上げる。
目の前に、見知らぬ男が立っていた。
つい先程までは、誰もいなかった筈なのに。
「……誰だよ、お前」
警戒の色を隠さずに、彼は問う。
「僕かい? 僕は
す、と片手を差し出すが、彼は嫌悪感を顕にして、それを無視した。
「なんだよ。用がないならとっとと失せろ」
そう言って狭霧を睨めつける。
しかし。
「どうやら君は気が長い方ではないみたいだね。さっさと本題に入るとしようか」
全く動じていない様子の狭霧。
それが余計に腹立たしくて、彼は小さく舌打ちをして目を逸らす。
そんな彼には構わず、狭霧は一葉の写真を見せる。
「君、
尋ねるのではなく、確認の口調で狭霧は言った。
ねっとりとした、見る者を不快にさせる笑みを浮かべて。
「……知ってる。それがどうした」
「彼女がどこにいるか、知ってるかい?」
「知らないな」
間髪を容れずに答える。
実際彼は、彼女が今どこで何をしているのかなど、知らなかった。
「そう……それじゃあ、十分程前に君が会ったのは、誰だい?」
ぎり、と彼は歯噛みする。
本当に、厭な奴だ。
「……ああ、そうだ。さっき会ったよ。鬼無に」
「何を話してたんだい?」
「……多分、お前の事だ」
彼は少し前から、彼女の相談相手になっていた。
その内容は、「最近誰かに後をつけられている」というものだった。
「僕の事? ……あぁ、やっと気付いてくれたんだ……」
どこか嬉しそうに、狭霧は呟く。
彼は顔をしかめてから、狭霧を睨む。
「お前、いい加減にしろよ。なんでも一人で解決しようとする奴が、俺に相談しに来る程なんだ。それだけ追い詰められてるってことだろ」
「何ヶ月もつけ回しただけのことはあったね。これでやっと努力が報われた!」
反省どころか高らかに笑い出す狭霧。
そして、不意に笑うのをやめ、
「そろそろ、次に移ってもいい頃だよね」
ぞっとするような低い声で言う狭霧を、彼は見た。
なんだ、こいつは。
彼には狂ってるとしか思えなかった。
「さて、それじゃあ僕は失礼するよ。教えてくれて有難う」
ふ、と笑みを浮かべて去ろうとする狭霧。
「……待てよ」
今までのものとは明らかに異質の、殺気とも言える空気を醸し出して、彼は引き留める。
「鬼無に、何をする気だ」
「……君には関係のないことさ」
「関係なくはない」
まっすぐに狭霧を見据え、彼は言った。
「自分が好きな奴が困ってるのに、助けない訳ないだろ」
「…………へぇ。それは、困るな」
狭霧の目が、鋭く光る。
「君はただ、僕と話したことを忘れてくれるだけでいいんだ。それ以上のことをするなら……」
懐から、銀色のナイフが取り出され、喉元にぴたりと当てられる。
「ここで消えてもらおうか」
低い囁き。
喉から伝わる、冷たい感触。
少しでも動けば、切れる。
一瞬にして、緊張が走る。
重い沈黙。
それを破ったのは、狭霧だった。
「……彼女を、好きだと言ったね?」
「ああ」
張り詰めた空気。
狭霧の声が、彼にはやけに大きく聞こえた。
「一度だけ、チャンスをあげようか」
狭霧の唇が、ゆっくりと弧を描く。
彼は大きく目を見開いて、狭霧を見た。
「彼女を殺して、僕も死ぬつもりだったんだけど、それをやるのに邪魔な奴がいてね」
彼の眉が、ぴくり、と動いた。
「いつも僕の邪魔ばっかりするから、いい加減、目障りなんだよね。だから、そいつを殺してくれたら、彼女を殺すのも、君を殺すのだって諦めてあげる」
「何、言って……」
「そいつの名前はね……
「なっ……!」
くすくすと、狭霧は嗤う。
「彼女が好きなら、彼女の為に殺さなきゃ。でないと……死ぬよ?」
可笑しそうに、嗤う。
まるで、ゲームを心から楽しむ子供のように。
「くっ……」
小刻みに震えながら、彼は拳を握りしめる。
親友を殺して、自分と彼女だけ助かるか。
親友を助けて、彼女を見殺しにするか。
どちらも、彼には酷な選択だった。
必死で考えても、いい策は浮かばない。
「……親友を殺すのは気が引けるかい? それなら背中を押してあげるよ」
そう言って、狭霧はポケットから携帯電話を取り出す。
そして何度かボタンを押し、耳に当てる。
プルルルル……というコール音が、深夜の公園にやけに響いた。
「誰に、かけてるんだ……?」
「杖口くんさ。彼とは一応友達なんだよ」
「や……やめろ!」
「彼女を見殺しにする覚悟ができたのかい?」
「っ……!」
苦虫をかみつぶしたような表情をして、俯く。
その間にも、コール音は止まらない。
プルルルル……という電子音が、深夜の静寂を支配する。
そして。
『もしもし』
「あぁ、夜中に悪いね。今から出てこれるかい?」
『まぁ……別にいいけど。今どこにいるんだ?』
「ちょっと公園に来てほしいんだ。場所は――」
ぷつっ。
「……何をするんだ」
「やっぱり……俺には無理だ! 親友を、殺すなんて……」
通話の途切れた電話をたたんで、狭霧はポケットにしまった。
冷酷な表情で。
「そう。それなら……」
どすっ、という鈍い音と共に、狭霧のサバイバルナイフが貫通した。
「……死ねば?」
そう吐き捨てて、ナイフを勢いよく抜いた。
大量の返り血が、狭霧の服を汚す。
しばらくの間、狭霧は無感動な目で彼を見ていた。
それから、思い出したかのように携帯電話を取り出し、先程の番号にかける。
「……あ、もしもし? さっきの話、また今度でいいよ。悪いね」
そう告げて、ぱたん、と閉じる。
「彼女を廃工場の倉庫に呼び出すだけか……」
そして再び彼を見下ろし、
「僕が彼女を殺す訳ないだろう? 馬鹿が」
くっ、と嗤って踏み付けた。