翌朝、ベッドの上で目を覚ますと、まだ外は薄暗かった。
まだ夜明けくらいかと、再び布団に潜り込もうとし、ふと時計が目に入った。指していた時間は、6時50分。もう起きる時間だった。
仕方なく、まだ未練の残るベッドから這い出し、カーテンを開く。
「……雨か」
なるほど、暗いわけだ。
窓を打つ雨の音を聴きながら支度を済ませ、朝食もそこそこに玄関の扉に手をかけると、後ろから声をかけられた。
「あら、今日は早いのね」
「……母さんか」
眠そうに目を細めて、大きく欠伸をする母。
「部活?」
「いや。雨で自転車が使えないからな」
「そう。……気をつけてね」
「……ああ。行ってくる」
そんな短い会話を交わし、俺は学校へと向かった。
いつもより少し遅い時間だったにも関わらず、教室にいる生徒の数はまばらだった。
近くの生徒に軽く挨拶してから席に着き、かばんからまだ真新しいノートを取り出す。
昨日の夜、睡眠時間を削ってまとめた、都市伝説に関する情報。それがこのノートには書かれている。
重い瞼を必死で持ち上げながら、ノートに書かれた文字を追う。
しかし、数ページめくったところで、ため息が出た。
「……不毛だな」
そう独りごち、天井を仰ぐ。
ネットで調べても真新しい情報は得られず、まとめてみてもこれといって得られるものはなかった。得られたものがあるのだとすれば、疲労とストレスくらいだろうか。
舌打ちしたい感情を理性で抑えながら、ノートを閉じる。
やはり、これ以上のことを知るには……
「本人に訊くか、もしくは――」
「おっはよー桐さん!」
呟きの途中で邪魔が入った。……哉井だ。
「おいおい、そんなに渋い顔してどうしたんだよー!」
「……お前がどうした」
「いやー困っちゃうよね、ほんと」
あはは、と苦笑を浮かべる哉井の頬は、遠目でもはっきりとわかるほど赤く腫れあがっていた。
……まさか、
「また何かしたのか」
「またって……俺がいっつも何かしてるみたいじゃんかー」
「違うのか」
「………ち、違うよ」
考え込むなよ、そこで。
はぁ、とひとつため息をつく。
以前哉井を「チャラい」と評したのには、このあたりの理由がある。
哉井は昔から、女性にだらしないところがあるのだ。
高校入学当初に、5人の女性と付き合っていたという話は、有名な話だ。その手の話に疎い俺でも知っている。
そしてそれだけだらしがなければ、当然トラブルも起きる。
そのトラブルに、何故かいつも俺が巻き込まれているのは、言うまでもないだろう。
「それより、桐さんは何してんのさ。何これ、都市伝説?」
無理矢理に話を変え、哉井はひょい、と机上のノートを取り上げた。その拍子に、挟んでいた下敷きが滑り落ちたのだが、お構いなしだ。
……親しき仲にも礼儀あり、だと思うんだが。
「…うわー、え、桐さんこれ全部調べたの? すげー詳しいけど」
「いや、俺の体験と、人から聞いた話だ」
「これ全部?」
頷く。
「へー…なんか意外だな。調べたわけじゃないってことは、もとから知ってたってことだろ? 桐さんはそういうの興味ないんだと思ってた」
「…まぁな」
実際、興味もなかったし、都市伝説自体作り話だと思っていた。
…零に出会うまでは。
「…で、どうしたんだよ。言っちゃ悪いけど、俺には凄く今更な気がするんだけど…」
「いや、少し気になることがあってな」
哉井からノートを受け取り、閉じる。
ちらりと腕時計を見る。そろそろ来る時間だろう。
「出来れば自分でどうにかしたかったが……仕方ない。少し話を聞きに行ってくる」
「え、どこに?」
「都市伝説の専門家のところだ」
ひとつ上の、3年生の教室のある階。
あまり気は進まないが、そうも言ってられない。
できるだけ早くしなければ、手遅れになるかもしれないのだから。
「専門家って、先輩?」
「ああ。元科学部の部長だ」
「……科学部なのに、都市伝説?」
言いたいことはわかる。都市伝説という非科学的なものを、科学部の部長が調べてるのが不思議なのだろう。
「本人の話では、科学部なら都市伝説も科学的に解明できるだろう、とクラスメイトに言われたのがきっかけで、調べ始めたそうだ」
「へー…俺ならそこまではやらないな……」
俺もそこまではやらないだろう。
もっとも、未だに解明はできていないらしいが。
「……ここだ。六条先輩、いますか」
教室をのぞき込みながら言うと、一番奥の席にその人はいた。
「ああ、桐褄くんじゃないですか。久しぶりですね」
眼鏡に敬語癖。俺の……苦手な先輩だ。
「ご無沙汰してます」
「どうしたんです? 桐褄くんが俺に用とは、珍しいですね」
「すみません。少し、場所を移してから話しませんか」
俺のその提案に、先輩は少し驚いたような顔をしてから、
「そうですか。それじゃあ……科学室に行きましょうか」
と笑った。そこなら異論はない。俺は黙って頷いた。