沈みかけた太陽が照らす神社に着くと、案の定そこには一人の男がいた。
男の足許で倒れている人物を見て、俺はこの男が先ほどの電話の主だと確信する。
「…早かったね。もっと遅いかと思ってたよ」
「現れる場所が決まっている都市伝説は、残り一つだったからな」
この街にある五つの都市伝説。
そのなかで場所が決まっているのは二つ。
一つは、学校に現れるという「黒衣の少女」、零。
そしてもう一つは。
「『神社の影使い』が何の用だ」
神社の境内に現れると言われている、「神社の影使い」。
「リサーチ済み、ってことか。なかなか優秀じゃないか。…まあ、これだけ都市伝説にかかわってるんだから、当然か」
足許の人物――幹藤を踏みつけながらくすくすと笑う陰使い。
その容姿は声から想像していたよりも若く、俺とさほど変わらない年齢に見えた。
もっとも、彼らに年齢などあってないものなのだろうが。
男のくすんだ蒼のジャケットが、そよ風に揺れる。
「もっと足掻いてくれるかと思ったのに、残念だ」
本当に、つまらない奴だ、と言って倒れ伏したまま動かない幹藤を蹴りつける。
「…幹藤は、生きているんだろうな」
「ああ、こいつのこと? 生きてるよ。ただちょっと、動けないようにしただけでさ」
にやり、と唇が弧を描くのを見て、思わず俺は陰使い――参成に掴みかかった。
…否、掴みかかろうとした。
胸倉へと手を伸ばした途端、何かに腕を引っ張られたかのように、腕が動かなくなってしまった。
「………!」
「そうやって暴力に訴えるやり方は戴けないな。人の話は最後まで聞くべきだ」
お前は人ではなく都市伝説だろう、と言うと参成は、言葉の綾さ、とおどけるように言った。
「僕が一体どういう能力の持ち主なのか、忘れてもらっちゃあ困るね」
参成は、手を目の高さまで上げて人差し指をこちらに向けた。
「君は今、僕の手の中にいるに等しいということだ。例えば、そう。君の腕をこんな風にすることだってできる」
人差し指を、くい、と曲げる。
ごきゅり。
そんな鈍い音がして、腕があらぬ方向へと曲がった。
「ああああああああああああああああああああああ!!」
「…どうだい、痛いだろう? 君の命を奪うことくらい、今の僕には容易いことだ。君が君の事を覚えていない今なら、ね」
「う……ぅあ………」
熱を持つ腕を強く押さえ、痛みに耐える。
指先ひとつ動かない。
「大した精神力だ。かなり無理に曲げたっていうのに、その痛みを耐えるなんてね。見直したよ」
さして興味もなさそうな表情で、ぱちぱちと手をたたく。
「でもわかっただろう? 僕の能力は」
とん、とん、と数歩後ろに下がり、間合いを取る参成。
その顔に浮かぶのは勝ちを確信した者の笑み。
「すべての物体の影を操り、思い通りに物体を動かす力。それが僕の能力だ。ここに這いつくばってるこいつも、僕が地面に縫い付けているだけで、大したことはしてないさ」
物体の影を操ることで、物体を操る。
これほど厄介なことはないだろう。
額に浮かぶ脂汗を拭い、幹藤を見る。
参成はああ言ったが、信用していいものだろうか。
地面に縫い付けただけならば、先程から一言も喋ろうとしないのは何故なのか。
それは喋りたくても喋ることができないからなのではないのか。
「まあ、信じてくれとは言わないよ。そう簡単に信じてくれるとは思っていないからね」
参成はどうでもいいと言うかのように、気だるそうにひらひらと手を振った。
「…それで、俺に何の用だ」
「まったく、そんなこと訊かなくてもわかるだろう?」
愚問だ、と言わんばかりの表情で、わざとらしく肩を竦める。
行動がいちいち気に障る。
と、そこで参成は睨むように俺を見た。
「君が忘れてしまったと、覚えていないという話は他の連中から聞いた」
今までの、どこかおどけたような口調とは明らかに違っていた。
「『宴』を行うためには、お前がそれを思い出さなければならない」
有無を言わさぬ口調、とでも言うのだろうか。
参成を取り巻く空気が、変質していくような感覚。
「そのためなら、多少手荒なことをしても已む無し、だろう?」
ざわざわと、木々が騒ぐ。
しかし、風はなかった。
す、としゃがみ込んだ参成の指先が、俺の影に触れる。
「思い出せ、お前の物語を」
指が、影の中に溶ける。
「……っ!」
全身に走る不快感に思わず、びくん、と体を仰け反らせる。
そんな俺を見て、満足そうに嗤った。
「どうやら、成功したみたいだな」
「なに、が……!」
「見せてやるよ、お前の物語の一部を」
参成の指が影から離れた。
その瞬間だった。
「…………っ!!」
幾つもの映像が、脳内を駆け巡る。
一本の指。
捧げられた
祭壇の蝋燭。
自己を失った人間たち。
それが、俺の前には広がっている。
赤黒い血液が飛び散った部屋。
人ですらなくなってしまった亡骸。
悲惨な光景。
「く……っ!」
荒い呼吸を整えることすら叶わず、片膝をついた。
どくどくと、血が巡る音がうるさい。
突然溢れた映像。あれは、一体何なんだ。
「『記憶の逆流』に耐えるとは…見上げた精神力だ」
「何を……した…!」
「『もう一人のお前』の記憶を見せてやっただけさ。まあ、一部だけどな」
「どういう、ことだ」
酷い吐き気に襲われながら、呼吸を整えようとする。
「気づいてないのか。……だけど、生憎僕の口からは言うことができないんでね。君が考えるんだな」
「………」
いつの間にか、高圧的な口調から元の口調に戻っていた。
「君が壊れる様が見られると期待してたのに、残念だよ。興醒めもいいとこだ。それを持ってさっさと帰って頂きたいね」
それ、と言いながら顎で幹藤を指す。
「その前に、ひとつ、訊きたい」
「何か?」
「お前は、何故都市伝説になった」
俺がそう問うと、参成は目を細めて嗤った。
「太陽の光は、僕には強すぎた。それだけのことさ」
そう言って、黒い影は神社に霧散した。