「以前桐褄くんに話した都市伝説は、『黒衣の少女』、『親殺しの吸血鬼』、『鏡中の移動者』、『神社の影使い』、『願いの王』の五つでしたね。俺が科学部に在籍していたときは知らなかったんですが、この街にはもう一つ、隠された都市伝説があるんですよ」
「隠された……?」
「あ、あのー。ちょっといいっすか?」
「話の腰を折るな哉井」
「いやー、その、五つの都市伝説の、『願いの王』って何かなって…」
思って、と消え入りそうな声で訊く哉井。
「ああ、『親殺しの吸血鬼』と『願いの王』には会ってないんでしたっけ。『親殺しの吸血鬼』の方は、知ってますか?」
「確か、産まれてすぐに自分の親を吸血して、殺したんですよね。見た目は人と変わらないから、今は人間に混じって生活してるとか……」
殆ど言い淀むことなくすらすらと語る哉井に、俺は少なからず驚いた。
「よく……覚えてるな」
「まぁ、何度も人づてに聞いてたからね」
恐るべき情報網だ。
……いや、俺の交友範囲が狭いからそう思うだけなのか。
「その他にも、満月の夜には吸血行動を取るという話もありますが、概ねそんなところですね。『願いの王』は随分古い都市伝説なんですが、願えばどんな願いでも叶えてくれると話題になり、今でも多くの人が知っているようですね。勿論、それに見合った対価はいるみたいですが」
「へー……」
俺も会ってみたいなぁ、という呟きが、隣から聞こえてくる。
気持ちはわからないでもないが、俺は進んで会いたいとは思えなかった。
今まで都市伝説と関わって、いい事はなかったからだ。
どうせ、ろくでもない奴なんだろう。俺が抱いた感想といえば、その程度のものだった。
「ええと、話を戻しましょうか。その隠された都市伝説なんですが、名を『水神の神隠し』と言います」
聞いたことのない名だ。
哉井もそれは同じだったらしく、目が合うと首を横に振ってきた。
「どんな内容なんですか」
「……『晴れた夜に雨が降ると、神隠しが起きる』」
「!」
俺は思わず息を呑んだ。
なんだ、これは。偶然なのか?
それとも……まさか。
「これは非常にローカルな都市伝説で、知っている人も少なかったんですが、目撃者がいまして」
まさか、これは。
「その人の話では、雨の中、子供を連れていた母親が、突然消えてしまったと言うんです」
これは……あの日の出来事だというのか。
「雨の中、傘だけが残り、人が消えてしまったと……桐褄くん、どうかしましたか?」
「あ……いえ、大丈夫です」
不思議そうに見つめる先輩。
だが、構ってはいられなかった。
「それで……先輩。隠されたというのは、どういう……」
「……本当に、酷い話ですよ。神隠しにあった人はまだ戻ってきていないのに……」
「なんか、あったんすか?」
そう訊ねた哉井に、先輩は静かに告げた。
「無かったことに、されたんですよ」
「え……?」
「どうしてなのか、俺にもよくわかりませんけどね。神隠しにあった人などいない、最初からそんな人はいなかったと、その人の存在自体が無かったことにされてしまったんです」
……同じだ。
やはりこの都市伝説は……
「そうして、都市伝説は黙殺されてしまった。事実を知っている、ある一部の人間を除いて」
「……先輩、一つだけ、いいですか」
「なんですか?」
「先輩はその都市伝説、誰に聞いたんですか」
「え? ええと……中学生の女の子でしたね。双子の」
「え、双子……?」
その時、始業のチャイムが鳴り響いた。
正確には、その予鈴のチャイムが。
「おや、もうこんな時間でしたか。そろそろ教室に戻らないといけませんね」
がた、とイスから立ち上がり、時計を見る先輩。
時間切れ、か。まあ、収穫はあったが。
「朝早くに、すみません。有難うございました」
「いえ、また何かあったら教えてくださいね」
そう言って先輩は科学室を出ていった。
俺は一つ息を吐いて、イスを片付ける。
「なー桐さん、早く行こうぜー」
イスも片付けずに、さっさと科学室を出ていった哉井が急かす。
「……自分の使ったイスぐらい、自分で片付けろ」
そう言いながらも仕方なく、哉井の分まで片付ける。
自分でやった方が早い。
「あ、さんきゅー」
さんきゅー、じゃないだろう……
深いため息をついて、科学室を出る。
腕時計へと目を遣ると、既に始業の3分前になっていた。
……まぁ、早足で戻れば問題ないだろう。
「そういえば、聞き損ねたんだけどさ」
「……なんだ」
「なんで他に都市伝説があるんじゃないかって思ったんだよ」
その事か。
早足で廊下を歩きながら答える。
「参成が口にしていた『宴』も、都市伝説なんじゃないかと思ってな」
本当は、出来ることなら頼りたくなかったのだが。
「なるほどねー。……ところで、なんでそんなしかめっ面してんのさ」
「……いつものことだ」
「いや、いつもより人相悪いって」
……そんなに悪いのか。
「ほら、親友の哉井くんに言ってみなさい」
「……やはりお前は悪友だ」
「ひでえ!」
そう言いながらも笑っているあたり、本気で取っているわけではないのだろう。
まぁ、俺も本気ではないが。
「……苦手なんだよ、六条先輩は」
「へー、桐さんにも苦手な人とかいたんだ」
「お前は、気付かなかったか」
「ん? 何が?」
不思議そうにこちらを見てくる哉井。
どうやら、気付いていなかったらしい。
「……あの人は、父さんに似ているんだよ」
今はもういない、父親に。
敬語癖に、眼鏡。そして、持っている雰囲気が。
「思い出すんだよ。あの日のことを」
「………そっか。それで……」
「それだけだ。……急ぐぞ哉井、ホームルームに間に合わなくなる」
「お、おう!」