「久遠寺会長――ああ、久遠寺 弘さんのことですが――と呉羽 千鶴さんの間に産まれた僕と兄は、1年間呉羽家で育ち、捨てられた、ということになっています」
「え、じゃあ、事実じゃないんですか?」
私が問うと、はい、と執事は頷いた。
「実際は久遠寺夫妻のもとに預けられていたんです。久遠寺会長の奥さんは、僕たちを本当の息子のように可愛がってくれました。ですが中学に入学してから、どこからか僕たちのことがばれたしまったようで……」
「ばれた…って、どういうことですか?」
「近所で噂が流れ始めたんです。『久遠寺会長の家にいるのは隠し子だ』とか、そういう類の噂が。それで僕たちはバラバラになり、それぞれ別のところで拾われたんです」
「…あの、そろそろ聞いてもいいっすか?」
焦れたように、吾九汰くんが言う。
「あなたは一体、誰ですか?」
「…その言い方は、さすがに傷つきますよ、吾九汰君。まあ、仕方ないですけどね」
苦笑いを浮かべて、執事は自らの名を名乗った。
「……和泉 咲弥と言います。兄はこの館の執事の白雷です」
「……うそ…」
呆然とする私に、執事――咲弥さんは「本当ですよ」と笑いかける。
「……だって、咲弥さんは…」
咲弥さんは、「殺人者」によって毒殺された筈なのに。
どうして。
「毒殺されたフリをしたんですよ。そして兄の白雷に、ティーカップの受け皿にあの文章を書いてもらい、『塔』に運んでもらって、そこで入れ替わったんです」
「でも…どうしてこんなこと……」
「どうして…それは、どちらの意味です?」
微笑んだまま、咲弥さんは表情を変えずに問う。
「どっち、って…」
「入れ替わろうと思った理由か、呉羽さんに銃を向ける理由か、どちらでしょう?」
「え、えーっと……ど、どっちも、なんですけど……」
「…わかりました」
目を細めて笑う咲弥さん。
「では、少し長くなりますが、お話し致しましょう」
その目は、冷たいナイフのような鋭さを帯びて、光っていた。
*
今から、22年前。
僕と兄は同時に産声をあげたという。
僕らは一卵性双生児の、所謂双子というものだった。
当時は久遠寺家で、久遠寺会長と本妻の
僕ら自身も、そうなんだと思い込んでいた。
何も知らないまま、平和に時は流れた。
やがて会長と皐月さんの間に秋飛が生まれ、毎日が楽しかった。
けれど。
幸せな時間は、唐突に終わりを告げる。
10月の、ある日のことだった。
僕と兄さんがまだ中学に上がって、初めての誕生日が来た翌日。
「すまない」
会長のその一言で、僕たちは帰る場所をなくした。
その日に、ようやく真実を知ることになった。
僕らが、会長とその浮気相手との間にできた子供だったこと。
浮気相手の夫に、僕らの存在がばれてしまったこと。
そして。
僕らが実の父親に、捨てられたということ。
教えてくれたのは、父さんでも母さんでもなく、父さんの、会長の秘書だった。
路頭に迷った兄を拾ったのは、見知らぬお爺さんだった。
路頭に迷った僕を拾ったのは、名も知らぬおばさんだった。
それから僕らは別々になった。
そして数年後、偶然僕らは再会した。
「……にい、さん…?」
「………お前、なんでここに…」
運命的な再会、というには、庶民的すぎた。
出会った場所が、隣町のスーパーだったのだから。
…まあ、仕方がないといえば、仕方がないんだけど。
久しぶりに見た兄の表情は、とても暗かった。
僕と、同じだった。
父の「裏切り」が許せず、心を閉ざしてしまった兄は、氷の心と無表情の仮面を手に入れた。
父の「裏切り」が原因で、嫌われることを恐れた僕は、敬語という鎧と笑顔の仮面を手に入れた。
ベクトルの方向が違っただけで、僕らの根本は同じだった。
兄にもそれがわかったようで、小さな声で言った。
お前も俺と同じだな、と。
兄の話を聞いているうちにわかったのは、どうやら兄を拾った爺さんはロクデナシだったらしいということ。
毎日のようにこき使われ、奴隷のような扱いを受けていたらしかった。
「今は…俺たちと同じような境遇のやつが手伝ってくれるから、ずっと楽だけどな」
「僕らと同じ…?」
「親に売られたんだそうだ。借金が払えないから、この子が働いて返しますからってな」
「…酷い親もいるもんだね」
「まったくだ。本人は引き渡される前に逃げ出したみたいだけど、結局捕まったんだそうだ」
「へぇ……」
会ったこともない人物に、少しだけ興味が湧いてきた。
それと同時に、兄のように酷い扱いを受けてるのかと憤った。
そして。
「兄さん。ちょっと相談があるんだけど…」
「なんだよ」
「一日だけ、入れ替わらない?」
この日から、「入れ替わり」が始まった。
「白雷! 何時になったら夕飯の支度ができるのだ!」
兄さんに連れられて着いた屋敷に入るなり、そう怒鳴りつけられた。
白雷って誰だろう、と思ったが、どうやら兄の呼び名らしかった。
僕が「和泉 咲弥」と呼ばれるようになったのと同じで、兄もまたこの屋敷では「白雷」と呼ばれているのだと、再び怒鳴りつけられてから思い当たった。
「す、すみません、すぐに支度をして――」
「早くせんかっ!」
最後まで言い終える前に、言いたいことだけ言って主らしき人は去ってしまった。
兄を拾った人がどんな人か気になって入れ替わりを申し出たけど…
…勝手な人だ。ある程度想像はしてたけど。
「…白雷さん」
慣れない名前を呼ばれ、少し動揺しながら振り向いた。
そこにいた人物を見て、思わず、息を呑んだ。
兄と同じ目。
兄と同じ表情。
兄と同じ――眼光。
そこには確かに、氷の心が見て取れた。
ここにいる人間は、皆そうなってしまうのか。
そう思ってしまうほど、その少年は虚ろな顔をしていた。
「白雷さん」
「あ、何?」
「…ご指示を」
「あー……えーっと」
当然、できる訳がない。
寧ろ教えてほしいくらいだった。
「……すみません。冗談です」
「え?」
「白雷さんの、弟さんですよね」
「は?」
「呉羽様には言いませんから、気にしないでください」
「……なんで、わかったんだ?」
今まで、僕らを正確に見分けれた人はいなかった。
会長も皐月さんも、間違えるほどだったのに。
表情も兄と同じようにした筈だったのに…
「なんでって……わかりますよ、いくら似てても」
取り敢えず厨房へ、と促されるままに、僕は屋敷の奥へと進んだ。
…納得がいかないまま。
「名前、お聞きしてもいいですか?」
野菜を切りながら、少年は問いかけてきた。
「あ、ああ…僕は和泉 咲弥。…君は?」
「俺は……
「あ、そうじゃなくて、本当の…」
「俺には、もう、これが本当の名前なんです」
力強く、というよりは、あまり触れてほしくない、という感じの言い方だった。
あの時の僕らと同じ顔をした彼は、黙々と作業を進めていった。
「…どうだった、入れ替わってみて」
屋敷を抜け出して、兄と二人で公園に来ていた。
「呉羽様…だっけ? あの人は気づいてなかったみたいだけど」
「あの人、は?」
「…海蓮くん、彼はすぐに気づいたよ。正直、驚いた」
「そっか」
兄の表情が、僅かに緩んだ。
「入れ替わり」を繰り返していた、ある日のこと。
僕が「白雷」のときだった。
呉羽 時重の妻の、千鶴さんの訃報の電話がかかってきた。