千鶴さんは交通事故で亡くなったのだそうだ。
何の因果か、久遠寺会長の、僕たちの実父の車に轢かれて。
呉羽 時重の荒れようは凄まじいものだった。
毎日のように怒鳴り散らし、そして物を壊す。
意味不明な言語で周りに当たり散らしては不意に静かになり、「死ぬ」と言う。
荒れていると言うより、狂っていたのかもしれない。
そう思うようになったのは、呉羽さんのあの言葉を聞いてからだ。
「あの男……一度ならず二度までも…必ず私の手で……」
殺してやる。
殺してやる。
殺してやる。
何度も繰り返される呪詛の言葉。
それを僕は、妻の復讐のための言葉なのだと思っていた。
けれど、そうではなかった。
「私の人生を…二度も滅茶苦茶にしよって……」
そこに妻を亡くした憤りはなく、あったのは自分のことだけだった。
それを見て、僕は急速に冷めていった。
この人はやはり、この程度なのだと。
翌日、僕は「和泉 咲弥」として久遠寺邸にむかった。
会長と、話がしたかった。
久遠寺会長はいないかもしれなかったが、それでも、何もしないよりはマシだと思ったのだ。
そこで気づいた。
久遠寺邸の前に、立っている人物に。
「……秋飛?」
「………お兄さん。久しぶり」
さして驚いた表情も見せず、秋飛は答えた。
けれど僅かに、そこに喜びのいろが浮かび、僕は喜んだ。
昔よりも表情が乏しくなっていたが、それ以上に、秋飛に会えたことが嬉しかった。
秋飛の前でだけは、仮面も鎧も必要なかったから。
「秋飛は、今いくつだっけ?」
「7歳……」
「そっか……」
もう、あれから2年が経っているのか。
僕たちが真実を知り、絶縁されたあの日から……
「お兄さんたち、大丈夫、だった?」
「ん? 何が?」
「みんな、バラバラになっちゃったから」
ふ、と兄の姿が脳裏を掠める。
心を閉ざしてしまった兄の姿が。
「……大丈夫、だよ」
「………うそ」
「え?」
「お兄さん、お父さんに会いにきたんでしょ?」
「あ、うん…」
「お父さん今いないから……また、ね」
そう言って秋飛は身を翻し、久遠寺邸へ帰っていった。
僕は秋飛の後姿が見えなくなるまで、ずっと立っていた。
秋飛まで、僕らと同じになってしまったような気がして。
その次の年だった。
海連は屋敷を出て行った。
借金の返済を終えたのだとか。
呉羽は、足が悪くなってきたのにもかかわらず、車を買った。
屋敷には似つかわしくない、普通の乗用車だった。
この人が何をするつもりでいるのか、僕たちにはわかっていた。
しかし、止められる訳もない。
僕らは一介の使用人でしかないのだから。
そして、呉羽の妻、千鶴さんの命日。
あの人は車に乗って出かけた。
行き先は、久遠寺邸だった。
その日、呉羽 時重は帰ってこなかった。
代わりに来たのは、あの人が入院したという知らせだった。
「……ふん、遅かったな。白雷」
「申し訳ございません」
「いい。何しろ今日の私は機嫌がいいからな」
「何かあったのですか?」
「……ふふ、あまり大きな声では言えんがな……」
声のトーンを落として、呉羽は嗤った。
「あの女を……久遠寺 皐月を殺してきたのだ」
……予想はしていたことだった。
「だが私も大怪我をした。両足を挟まれてな、もう動かんそうだ」
「…そうでしたか……」
「しかし、あの男への復讐は成功した。これほど喜ばしいことはなかろう!」
「仰る通りでございます」
「ふふ、私が退院したら祝杯をあげるとしよう。いいか、上等なワインを2、3本買っておけ」
「わかりました」
「今日はもういい。下がれ」
「はい。失礼致しました」
病室の扉を開け、病院を去った。
退院すると呉羽は、予告どおり祝杯をあげた。
浴びるように酒を飲み、僕にも酒を勧めてきた。
まだ16歳ですから、と断ると、不愉快そうに顔をしかめてワインをあおった。
「車椅子というのは面倒なものだな、白雷」
「そうですね」
面倒なのはお前だ。
そう言葉にしてしまいそうだった。
それから6年経ったある日。
呉羽は言ったそうだ。
「あの男はもっと罰が必要だ。そのためのゲームをしよう」と。
あの男に地獄を味わわせてやる、とうわ言のように呟いていたと、兄は言った。
ゲームの内容はこうだった。
久遠寺家と関係のあるものを抽選で選び、一人殺す。
そしてその殺した人物の周辺から10名ほど招き、一人ずつ殺していく。
10人の中に、久遠寺会長の愛娘、秋飛を入れる。
じわじわと恐怖心をあおり、最後に秋飛を殺す。
そんな狂ったゲームだった。
勿論10人を殺すのは呉羽ではない。
屋敷の使用人だ。
「あの人は、俺たちがどこの人間だか知らない。だから秋飛を殺すなんてことを簡単に言ったんだ。
秋飛が俺たちの、腹違いの妹だとも知らないから……」
「…………秋飛に、言った方が、いいのかな…」
「……………俺もそれを考えてた。秋飛を巻き込みたくない。でも……」
「……兄さん、その10人を選ぶのは、『白雷』の仕事なんだよね?」
「……! そうか、そうだな……呉羽は俺たちが双子だということも知らない」
「だからそれを逆に利用して……僕たちがあの人に復讐する」
「今まで散々奴隷みたいな扱いしやがった報いを受けさせる……!」
計画は決まった。
どちらかがゲームの参加者として紛れ込み、復讐する。
僕と兄さんがこれまで受けた痛みを、
最愛の人を失った会長の悲しみを、
秋飛を殺そうとした報いを、
そして自分のために殺人犯させようとした罪を、
あの男に受けさせてやるのだ。