イルミネーションが輝く夜の都会のなか。
りん。
澄んだ音が、どこからか舞い降りた。
りんりん。
しかし、音はすれども姿は見えず。
上から聴こえてきたということはわかるものの、どの方角からなのかもわからない。
りんりん。
次第に近づいてくる音。
音の正体がわからぬまま、私は辺りをきょろきょろと見回す。
ぱっと見は、挙動不審。けれど、そんなことはどうでもよかった。
だって他の人だって、そうしている筈―――
あれ?
りんりん。
私以外の人は、何も聴こえていないかのように楽しげに歩いてゆく。
…どうして?
わからない。
わかっているのは、どうやらこの音は私にしか聴こえていないらしいってこと。
りん。
「はろー、少年。あ、じゃなかった少女」
「少女って話しかける人も珍しいですけど…」
「お、どうやらみえてるみたいだね? 感心感心」
金髪碧眼の女性が、流暢な日本語で話しかけてきた。
やはり思ったとおり、他の人には見えも聞こえもしないらしい。
「それで、あなたは一体どちらさまで?」
「ん、ん。いい質問だね」
当然の質問だと思う。言わないけど。
「あたしはね、サンタだよ。いわゆる、神様の使いさ」
「…サンタってそんな職業でしたっけ」
「そう、あたしはニコラウス様の使いのサンタなのさ!」
「サンタクロースって、聖ニコラウスが訛ったものだという説はありますが」
どうなんだろう。そのへんは。
「んー………ま、細かいことは気にしない!」
細かくない。
というか、使いだというならその辺のことは知ってる筈なのに。
いいのかな…
「それに…サンタというわりに、真っ白のお召物ですが」
「お、おめしもの…! そんなハレンチな!」
「衣服の尊敬語です」
破廉恥とかじゃありません。
「…うーん、年の割りに博識だね」
「そうですか?」
あたしよりもの知ってそうだもん、と言いながら、考えるような仕種をした。
「ところで、君、サンタって信じる?」
「そんな非科学的なものは信じてません」
目の前の女性は特に気分を害した様子もなく、「お、現代っ子だねー」と呟いた。
「…と、言いたいとこですが、こうも見せ付けられてしまえば、話は別です」
「…と言うと?」
「取り敢えず、サンタ云々は置いといて、少なくともあなたが普通の人ではないというのは、理解しました」
「順応したわけだね。えらい」
皮肉でもなんでもなく、素直に感心したらしかった。
女性は笑顔で、「じゃ、ついでにこっちも順応してもらおっかな」と言いながら、メインストリートの方へ歩いていった。
ついて来い、ということなんだろう。
「ここは…神社?」
驚いた。こんなところに神社があるなんて。
「そ。で、あれが順応対象」
鳥居をくぐって正面の境内にいる巫女を指して、女性は言った。
「…その子が、あの人の言っていた…?」
「そーの通りっ! さっすがあいちゃん!」
いい加減そのあだ名はやめてほしいのだけれど、と巫女装束の女性が言う。
「えーっと、こちらはここの巫女さんであたしの親友の、
「因みに偽名よ」
すかさず巫女さん、藍沙が言った。
「で、あたしがロウ。カタカナで、ロウね」
よろしくっ、と朗らかに笑う。
密かに、対照的だなあと思っていた。
「それにしても…いいんですか?」
「ん? 何が?」
「いや…キリスト教と仏教って…」
クリスマスと言えば、キリストの聖誕祭だった筈。
何が悪いというわけでもないけれど、なんとなく、「いいのかな」と思ってしまう。
「ああ、大丈夫だよ。なにせ藍沙も神に仕えるものだからね」
あたしとおんなじ、とロウは言う。
「私は仏教じゃなくて、
仏の道ではなく、神の道。
同じだから…いい、のかな…
「ま、そーゆーことだから、藍沙、頼んだよ」
「ええ」
藍沙は「それじゃあ、軽く祓うから」と言って、私に向き合う。
「え、何か憑いてる…とか」
「ああ、そういうんじゃなくて、ちょっとしたお清めみたいなもんだよ」
本当だろうか。
「掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等 諸々の禍事・罪・穢 有らむをば 祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと恐み恐みも白す」
流れるように紡ぎ出される言葉。
これが、祝詞というものなのだろうか。
「
心を読まれたのかと思ったら、どうやらそうではなかったらしく、「知ってる?」と訊ねてきた。
私は黙って首を振る。
間をおかずに、りん、という澄んだ鈴の音が聴こえてきた。
藍沙が手に持つ、神楽鈴と呼ばれる神具の音らしかった。
また何度か鈴の音がすると、ふいに静寂が訪れた。
風が木々を揺らす、ざわざわという音。
自分の心音が、僅かに聴こえた。
「それじゃあ、目を閉じて」
凛とした、藍沙の声。
言われるままに、目を閉じる。
「『広がる世界を御覧なさい。其処は美しき空の国。下に見ゆるは蔓延る悪。さあさ行きましょう、我らの聖地へ』」
ロウがそう言った途端、不思議な感覚が私を襲った。
かつて経験したことのない、ふわふわとした感覚。
たとえるなら、水の上を漂っているときに似ている。
「目を開けて」
そっと目を開く。
「うわぁ……!」
「メリー・クリスマス!」
私がいたのは、さっきまでの神社ではなく、空の上だった。
雲にほど近い、足許に何もない世界だった。
「あ…」
「どう? 空飛んでみた気分は。最っ高のプレゼントになったでしょ?」
「あ、あ、足許が……足許がぁぁぁ…」
怖い怖い怖い怖い。
高い高い高い高い。
「お、お、おろ、下ろしてぇぇぇ…!」
「あー、えっと、こういうのはなんて言うんだっけ……あ、高山病?」
「高所恐怖症」
「あ、それそれ」
「い、いいから、おろし…」
涙がにじんできた。
でも何より、早く地上に戻りたい。
「仕方ないなー。じゃ、藍沙。後は任せたぜっ!」