目を覚ますと、目の前には見慣れぬ天井があった。
ここは……応接室?
「……気がついたか。」
すぐ傍にいた劉が、私に声をかけてきた。少しだけほっとした顔をしている。
「ここは…?」
「杏の研究所だ。あれはすべて夢だったんだ、と言えたらどれだけよかったか…」
夢じゃ、なかったんだ…あれは。
確かに今も続いている事実なんだ。
「ネメシスは?杏は?それに…今はいつなの?」
「今は西暦2139年。季節は春だ。君が倒れた数分後、未来への進行が止まった。杏ならネメシスと格闘中だ。強制終了プログラムを組み込んでいるらしいが……どこまで出来るかだな、問題は。」
「それは、21世紀に戻れるかどうかはわからないってこと…?」
「そういうことだ。」
劉曰く、状況は絶望的なのだとか。相変わらずネメシスはこちらからの信号を拒み、暴走を続けていたらしかった。今は何とか治まっているものの、いつ動き始めるかわからないから外には出るな、とのこと。
私は立ち上がり、窓の方へと近づいた。…あの酷い光景が、そこにはあった。
木々はとうの昔に枯れ、水位は上がり、春だというのに日差しが暑い。
「………」
目を背けたくなる、痛々しさだった。
コンコン、というノックの音が扉のほうから響いてきた。
「…鳳、気づいたんだね…」
「うん…それよりも、ネメシスは?」
「……ネメシスは、相変わらず暴走状態だよ。今は落ち着いてるけどね。」
ため息をつきながら、杏が言った。表情からまだ油断ができない状態だということがわかる。
「…杏、これが君の望んだ結果か?」
劉が言う。突き放すような、冷たい言葉だった。
「……もう、潮時かな……」
ぽつりと、呟いた。
…潮時?どういうことなのだろう?
「退屈な演劇はもう終わりにしよう。ここからは―――」
何故か、嫌な予感がした。
それは、何かが起こる前兆にも似た、予感が。
「創世の時間だ。」
「演劇って…どういう事なの…?」
「そのままの意味だよ。お芝居だったってこと。」
何を言っているのだろう、杏は。
今までの事がすべて、芝居だった…?
「全部……嘘だったの?」
「全部ではない、かな。それに嘘とは失礼だな。何?鳳は演劇をやっている人を嘘つき呼ばわりするとか?ってことはドラマに出てる人は皆嘘つきかな。」
「え、あ…そ、そっか…」
「納得するな!杏、そういう問題じゃないだろう。何が本当で何が嘘なのか…はっきりさせてくれ。」
突っ込みのあと、劉が凄む。結構、怖い。
「わかったから睨まないでよ……ま、まず、世界中の人をパラレルに移したっていうのは本当。ネメシスの存在もね。これは疑いようがないでしょ。」
そう言って杏は同意を求める。頷く。
「だけど、ネメシスが暴走したっていうのは嘘。本当はちゃんと制御されていたの。プログラムの欠陥も、現段階では見られないし。」
「どうしてそんな嘘を…?」
「理由は、二人を未来に連れて行くため。二人がこれを見たら、手伝ってくれるんじゃないかっていう淡い期待から生まれた嘘だよ。この“未来”は本物だから……」
“未来”が本物だと聞いて、私は愕然とした。
これが嘘であったなら、虚像であったなら…
そう思うほど、この“未来”は酷かったから。
「なんで、こんな…」
「過去に遡れば、今ならまだ間に合うんだ。“未来”さえ、変えられる…だから、現状に危機感を持ってもらうために、連れてきた。実際に来てみて、どう思った?酷いと思ったでしょ?」
私は、何も言わなかった。
いや、言えなかったのだ。その通りだったから。
「このままではこうなってしまう、ということなんだよ。この未来は。これを見たら…二人なら、あたしの意見に賛同してくれる、そう思ったの。」
「…確かに、ある一面から見れば、君の言う通りかもしれない。だが…それなら何故、人々をパラレルに移し、国々を沈めた?何の理由があってそんなことをしたんだ?」
劉がそう問うと、杏は寂しそうな笑みを浮かべた。
どこか、諦めたような表情だった。
「…人は、自分の常識の範疇を超越されると、それを信じなくなることが多い生き物なんだよ。こんなものを見せたところで、誰がこれを本当の未来だと信じてくれる?ただのインチキだろうと罵られるだけだ。」
杏は、それを知っていた。
彼女の発明は、どれも人々には信じがたいものだったから。
インチキ、嘘つき、偽物、紛い物…
杏を、発明したものをそう呼び、人々は杏を孤立させた。
彼女を理解していたのは、私と劉だけだったと言っても過言ではないのかもしれない。
そして、杏は人に期待しないようになった。
発明したものを、見せなくなった。
「無駄だから」と、彼女は言った。
そのたびに私は杏の、こんな哀しい笑みを見てきた。
…悔しかった。
こんな、何も出来ない自分が。
杏を励ますことすらできない自分が。
疎ましかった。
「杏……」
何か。
何か言わなければ、そう思うのに、言葉が出てこなかった。
私はまだ、あの時のままなの――?
あの、無力な自分の…
頭を軽く振って、考えを打ち消す。今は、そんなことを考えている場合ではないはずだ。
「君のしていることは、許されることではないだろう。俺や鳳が許したところで、な。」
再び、劉は冷たい目を向けた。
しかし私は気づいていた。
劉の瞳が、揺れていることに。
「それでも…この実験を、続けるのか?」
「…そのつもりだよ。だってもう…後戻りはできないからね。」
俯いていた杏の唇が、微かに歪んだように見えた。
今のは…気のせい?
「それで…二人は参加してくれるの?この実験に…」
「……わかった。俺も手伝わせてもらう。」
「劉!」
「君も見ただろう?あの惨状を。ここまできたら…やるしかない。」
そんなことは、私にもわかっていた。
変えなければ、ならない。
けど……
「片廼 鳳。君は何を迷っている?」
「………」
「杏が…信じられないのか?」
「…!」
どうすれば……いいの…?
「…鳳。」
杏が、私を見据えて言った。
「鳳が選べばいいんだよ。別に断ったからって、裏切られただなんて思わないから。」
「……」
「鳳は、どうしたい?」
「……杏を…信じたい……」
「信じて。きっと変えてみせるから。」
「…うん……」
もう、
何もわからなかった…
気づけば私は、泣いていた。
本当に、信じていいんだよね?杏……