*
それからどれくらいの時間が経っただろう。
気づけば既に外は暗く、街灯が光を放っていた。
結局あれからずっと碧は黙ったままで、僕を呼んだ理由も言ってくれなかった。
「…僕は、隣の部屋を使えばいいんだよな?」
「ああ。…本当に、すまない。」
「別に謝らなくていいって。……あ。」
「どうした?」
「いや…ジャージ忘れた。ちょっと帰って取ってくる。」
「自転車で来たのか?」
「徒歩!」
碧に向かって叫んだ。
「それなら俺のを使え。その方が速いだろ。」
「サンキュー。」
玄関を出て、碧の自転車に跨る。僕と碧の身長は殆ど同じなので(数cm碧のほうが高い)、サドルの高さを変えなくても問題はなかった。
この辺りは夜になると誰も通らない。
何故なら、ここの住民は皆金持ちだからだ。
だから歩いている人なんか誰もいないし、車もあまり通らない。
何が言いたいかというと、それだけ静かだということ。
その静寂の中、自転車をこぐ音だけが響いている。
…なんか、やだな…
やっぱり引き返そうか。碧に借りれば、それほど問題はないだろう。
いやしかし、ここまで来たのに引き返すのもあれだな。
あぁ、でもなぁ…
いや…やっぱり取りに帰ろう。せっかくここまで来たんだから。
もう少しの我慢だ。あと5分もすれば家につくだろう。
そんなことをしていたからだろうか。碧の家についたころにはもう9時近くになっていた。
だが、昼に来たときとは決定的に違うことがあった。
碧家で何か、けたたましい音がしていたのだ。
「…警報…?」
そう口にして、嫌な想像をしてしまった。
あの、碧の母親殺しのようなことが起きているのではないか、ということだ。
「…碧!」
インターフォンも押さずに、門を飛び越えた。
急いで碧の家に向かう。
こんなに全力で走ったのはいつ以来だろう、と思ったが、そんなことはどうでもよかった。
「碧!開けてくれ!僕だ!」
ドンドンと扉を叩く。
何度も何度も叩いた。
それでも碧は出てこなかった。
仕方なく窓を覗き込もうとした、その時だった。
「…窓が……!」
開いていた。
破られていたのではなく、開いていたのだ。
母親殺しのときと同じように。
「碧!」
窓から部屋に入った。
土足だとか、そんなことは知ったことではない。
命が危ないかもしれないのだ。
もし無事だったらその時は謝ればいい。
とにかく急いでいた。
「どこなんだ?碧!返事をしろ!」
部屋の中には誰もいない。
一体どこにいるというんだ。
心配は少しずつ焦りに変化していった。
家中探しても見つからない。
何故だ。どこにいるんだ……?
「碧!どこだ?」
「…ぅ……ん…」
「!」
微かに、声が聞こえた。
だがどこから声がしたのかわからなかった。
「どこにいる?!」
「…ぅ……」
心なしか、さっきよりも弱々しい。
まさか…もう…
「くそっ!どこだよ!」
近くのクローゼットを開き、姿を探す。
「う……」
いた。服に埋もれているが、まだ生きている。
クローゼットから出してやり、ベッドまで連れて行った。
「…くそっ…!」
腹部に大きな傷跡があった。
そこから大量の血があふれ出てくる。
まだ刺されてから間もないのが、よくわかった。
上着を脱いで、傷口に当てた。だが上着もすぐに赤く染まっていく。
「…大丈夫か?」
「…大丈夫に…見えるのなら…眼科に行ったほうが、いい…」
思ったより大丈夫そうだ。
しかし呼吸も弱々しいものになっている。
片手で携帯電話を開き、119番に電話をかけた。
それから10分程経ち、ようやく救急車が到着した。
その頃には彼の意識は無く、生死の境を彷徨っていた。
すぐに病院に運び込まれたため死は免れたが、今もまだ油断ができないとのことだ。
*
これで…終わった。
叔父の死体も捨て、私はいつも通りの学校生活を送っていた。
不安など無かった。叔父が死んだことを、心の底から喜んでいた。
叔父は誰にも見つかることなく、7年が経つ。
それは誰にも変えることのできない、確定事項だ。
だから私は、怯えないで済む。
誰にも、見つけられるはずが無い。
絶対に。
*
「…おはよ、緋谷くん。」
「…あぁ、紀藤さん。おはよう。」
「……碧くん、無事なんだよね?」
「ああ。だけどまだ油断はできないそうだ。」
「……緋谷くん。」
「何?」
「自分を、責めないでね?」
「…………紀藤さんには、関係ないよ。」
「…そんなこと無い。あたしだって緋谷くんの友達だし…碧くんも、友達だよ?」
「…!」
「……それとも、そう思ってたのはあたしだけ?」
「…………僕も、そう思いたいよ……僕のせいじゃないって…でも、事実なんだ。それが…」
「………………」
「………ごめん、電話だ。」
「………………」
「…はい、わかりました…わざわざ有難うございました…」
「…どうしたの?」
「…………碧は…死んだよ。」
「…!」
「最期に、僕に電話をかけるように言ったらしいんだ、あいつ。」
「…なんて、言ってたの?」
「……『お前のせいじゃない。悪いのは俺だ。だから自分のせいにするなよ。』…って…」
「…やっぱり、碧くんはわかってたんだよ。緋谷くんは自分のこと責めるだろうって。」
「……あたり…まえだろ……責めるにきまってるじゃないか…」
「緋谷くん……で、でも…」
「結局僕は、何も守れなかったんだ…!」
「え…?」
「碧も、父さんも…兄貴も…誰一人、守れなかった…」
「お父さんも…お兄さんも、亡くなったの…?」
「違う…なんでもない。忘れてくれ……」
*
「最近どうしたの?なんか前より明るくなったような…」
「そう?そんな変わんないと思うけど…」
「…もしかして…男?」
「そ、そんなわけ無いでしょ!なんでそうなるの!」
私は必死で否定するけど、友人はにやにやという表現がぴったりの笑みを浮かべている。
「へぇ〜やっぱりそうかぁ…」
「だから、違うってば!」
こんななんでもない日常が、嬉しかった。
叔父のことなんか気にする必要も無くなった。
もう、存在そのものが無いんだから。
「あ、そうだ。今度家に来てよ。夕食ぐらいは御馳走できるよ。」
「え、本当!?ありがとー!今度…いや、明日行くよ。大丈夫?」
「いいよ。もちろん。」
私は笑顔で言う。
その表情の裏の意味を気づかれないように。
*
今日、緋谷くんが学校を休んだ。
あたしが憶えている限りでは、3年になってから初めての欠席だったと思う。
確かに碧くんが死んじゃって、そのすぐ翌日だから気持ちはわかるけど…
なんだったんだろ、あれ。
『碧も、父さんも…兄貴も…誰一人、守れなかった…』
あの言い方だと、やっぱり亡くなったみたいだけど…どうして忘れてくれって言ったんだろ…
誰にも知られたくなかった、とかなのかな…
あたしにはよくわからない。
…学校が終わったら、緋谷くんのお見舞いに行こう。
それで、碧くんの家の場所を聞いて、御焼香あげて…
緋谷くんから、本当のことを訊こう。
*
それから私は何事も無かったように振舞った。
大丈夫、誰にも気づかれてない。
私が起こした、つい先日の殺人事件も。
そして、昨日の事件も……
叔父と同じ方法で、殺した。
ただ、死体はそのままにしてしまったけど、それでもよかった。
もしこのまま私が犯人だとばれないようなら、彼の家の人間すべてを…
私は誰にも見られないように笑みを浮かべる。
狂人の笑みを。
*
前に緋谷くんの家には行ったことがあったけど…
さすがにちょっと緊張する。
軽く深呼吸して、インターフォンを押す。
『はい』
「あ、えっと…紀藤 琉惟です。」
『ああ、琉惟ちゃんね。ちょっと待っててね……』
それからすぐに玄関の扉が開いた。
「いらっしゃい。隆志なら2階にいるからね。」
「あ、ありがとうございます。」
礼を言いつつ階段を上がっていく。
「…大丈夫?風邪、だよね?」
「ああ……学校側にはそう伝えてある。」
よく意味がわからない。
結局風邪なの?そうじゃないの?
「…碧があんなことになって、学校に行けるかよ…」
「ああ、そういうことね。」
小声で呟いた。
「ん?なんか言った?」
「う、ううん!あ、ところで、碧くんの家ってどこにあるの?」
「…なんで?」
「御焼香あげたいなって。」
「ああ……ちょっと待って。地図書くから。」
紙に丁寧な地図を書き始めた。
地図が苦手なあたしにもわかりやすいな、これ。
「…はい。これなら行けるだろ。」
「うん。…それにしても、よく憶えてるね、コンビニとか市民ホールとか公民館とか、自販機まで書いてあるし…」
「あの辺はだんだん目印が無くなってくるからな…自販機くらいしか目印になりそうなのが無いんだよ。」
「そっか…青と白のアクエリアスの自販機ね。わかった。」
細かいし、これならなんとか辿りつけそう。
とりあえず地図をカバンにしまう。
「…それで、なんだけど…」
「何?まだなんかあるのか?」
「…昨日のことなんだけど……」
そう言った途端、緋谷くんの携帯が鳴った。
「…悪い。ちょっと待っててくれ…」
ぱたん、と扉を閉めて出て行ってしまった。
うーん、どうするかな…
ふと机を見ると、パソコンが立ち上げっぱなしになっていた。あたしが来るまで使っていたらしい。
ちょっと抵抗はあったけど、ちらっと見るだけ、と言い聞かせて画面を見た。
「…小説?」
小さく呟いた。あんまり大きい声で言うと聞こえそうだったから。
少しだけ見てみた。…ちらっと。
「……えっ…!?」
思わず声を上げてしまった。
…大丈夫。聞こえてなさそう。
「…これ…どういうこと……!?」
「何が?」
「ひっ!……あ、緋谷くん…」
「勝手に人のパソコン見るのは感心しないな。…悪いけど帰ってもらえないか?この後大事な客人が来るんだ。」
「……わかった…じゃあね、緋谷くん……」
「ああ。また明日。」