「あ、鳳!今助けるから待ってて……きゃあ!」
どぼーん、という音を立てて海に真っ逆さま。
まったく、自分の馬鹿さ加減には呆れるよ…
って、あたし泳げないんだった!
「た、助けてーーー!だれかー!劉ー!早くきてーーー!」
必死で叫ぶけど、なかなか助けは来ない。
崖が邪魔で、研究所からは見えないし、あたしは泳げないし…
もしかして…ここで溺死…?
「いーやーーーーー!だれかー!早く助けろーーー!」
命令口調だとか、そんな些細なことは気にしない。
生死にかかわるのだから、そんなことを気にしている余裕なんてない。
「だーーれーーかーーーー!」
「杏…?いるのか?」
この声は…劉だ。
やった、何とか助かるかも…!
「りょうーー!はやくたす……」
し、沈む!
お願いだから早くして!
その時、視界の隅で海に飛び込んでくる劉の姿が見えた。
なんだか、とても頼もしく見えた。
「大丈夫か?!」
「りょ……あげは…そこ……」
波に飲まれそうになりながら、懸命に鳳の場所を教える。
と、そこまでは良かった。
問題はそのあとだ。
「鳳っ!」
と言って劉は鳳の方へ。
ちょっと待ってよ、あたし、溺れかけてるんですけど!泳げないの知ってるでしょ!?
ボートは遠く離れたところに浮いてるから取りに行けないし、もう体力が限界だし。
「鳳、大丈夫か?しっかりしろ!」
劉はというと、鳳を抱きかかえてボートのほうに向かっている。
「りょ…!たす……」
ちょっとは助けてあげようとか思わないのかよ!
必死で手足を動かして追いつこうとするものの、当然追いつくはずもなく。
沈んだ。
いや、正確には、沈みかけた。
沈みかけたところでようやく劉が気づいた。
「だ、大丈夫か?」
「馬鹿!あたしを殺す気か!」
「わ、悪い…」
劉に腕を引っ張られながら、あたしは思いっきり悪態をついてやった。
せめて一言声かけろよ、とか。
人のこと忘れてんじゃねーよ、とか。
割と遠慮せずに言った気がする。
生死の境をさまよっていたのだから、仕方がない。うん。
ボートに鳳を寝かせ、脈をはかり、一安心する。
「よかった…無事で……」
おいおいあたしは無視かよ。
「あ、乗れるか?」
何だよその『今思い出しました』みたいな言葉は!
腹が立ったので自分で乗る。今度は転覆しなかった。
「鳳、大丈夫だったの?」
「ああ…脈もあるし、恐らく大丈夫だろう…」
「そう…残念だったね。」
「何が?」
「心肺蘇生法ができなくて。」
「!!」
これほど劉が赤くなったところを、あたしは初めて見た。
「やりたかったの?」
「そんなわけあるかっ!」
そう言うと劉は後ろを向いた。
あー楽しかった。
「…5分。」
「なんだよ。」
「5分だけ、二人にさせてあげる。いいものも見れたし、聞けたし。」
「…何のことだ?」
「劉の赤面と、鳳をファーストネームで呼んでたとこ。」
「なっ!」
「いっつもフルネームで呼んでるから、鳳へこんでたんだよ。」
「そ、そうだったのか?」
悪いことをした、という表情。
「いや、知らないけど。」
「あ、あのなぁ…」
「でも、名前で呼んだら喜ぶんじゃない?鳳のことだし。」
「…そうか…」
「いや、わかんないけど。」
「…もういいよ。」
あの5分の間、劉は何もしなかった。ただ、鳳、と何度も名前を呼んでいた。
けれど、きっと彼の中の何かが変わったのだろう。
それから時々、劉が鳳の名前を呼ぶようになったのは、また別の話。