気づけば既に、始まっていた。
そして今、私は何もできないまま、すべてが終わろうとしている。
何も知らないまま、
世界が、終わろうとしている。
「…それで、僕に何の用だ?生憎僕は忙しい身なんだが。」
この施設――科学研究所の主である彼が言った。
「…何が起こっているのか。何故、こんなことが起こったのか。…それが知りたい。」
「僕なら知ってると?」
「…知らなかったとしても、あなたにしか頼れない。」
私は断言する。
私は他の人に協力を仰ぐことはできないのだから。
「…そうだな。君は僕にしか頼れない。…いいだろう。教えてやる。」
目の前の彼はそう言った。
「ほ、本当に?」
「僕は嘘はつかない主義なんでね。」
「あ…ありがとう!」
そう言った私の目の前に、指が突きつけられた。
「但し、条件がある。…今回のことで知っていることをすべて話せ。そうしたら話してやる。」
「そんなの―――」
割に合わないじゃないか、と言おうとする。
提供する情報に見合うだけの情報を、彼は相手に売る。つまり、情報の交換だ。
だからこそ、割に合わない。
私が知っている事は、本当にわずかだから。
だが、彼は人差し指で私の唇を押さえた。
「……とにかく、話してくれ。全容は話せなくても、事の一端くらいは話せるかもしれん。」
彼は言った。その言葉に、私は口を噤んだ。
理由は簡単。
彼は私が提供する情報以上のことを、私に教えてもいいと言っているのだから。
「私が知っているのは、一晩にして多くの人がこの世界から消え、一部の国が消滅したということだけ……」
「…何も知らないのと大して変わらんな。まあいい。僕のシステムは君も知っているだろうが…今回ばかりは例外ということにしておいてやる。」
「…ごめん。」
謝るなよ、と彼は言った。
なんだかんだ言っても、彼は人がいいのだろう。
「昨晩…およそ63億人もの人間が消えた。殺されたのではなく、まさに消えたんだ。跡形もなくな。」
「…消えたって…本当だったんだ…」
てっきり殺されたという意味だと思っていた。
彼は頷き、続けた。
「何故それほど多くの人間が消失したのかは今のところわかっていない。そしてそれと同時に14ヶ国の国が消滅した。これも原因は不明だ。」
「消滅って…どうなったの?」
「そのままの意味だ。その国の領土が消え、海になっていたんだ。今消えた14ヶ国に共通点がなかったか調査している。…次に行くぞ。
現在の日本の人口は5、6人だと考えられている。」
「…その情報は確かなの?」
そう訊くと、彼は笑みを浮かべた。
「僕を誰だと思っている?…まぁ、さすがに時間はかかったがな。」
さすがは裏世界の人間といったところか。
彼の名は
彼は天才ハッカーであり、情報通であり、科学者だ。
そして何より、高校からの友人だった。
だからこそ私は、彼に頼った。
…いや、彼にしか頼れなかった。
私が知る人は、二人を除いた全員が消えていたのだから―――
「そして、最後に…僕は先ほど、この事件の犯人がわかった。」
「ど、どういうこと?どうやってやったのかもわからないのに、犯人がわかったの?」
「…ああ。犯人から電話があってね。君が来る数分前に。」
私は俯いた。
…そうか、彼も…劉も、知っていたのか…
「君も知っているだろう?…
「…やっぱり、知ってたんだね。さすがは情報通だ。」
「その様子だと、君は僕より前に知っていたようだな。」
「…信じたくなかったけどね。でも、杏は…やりかねない人だったから。」
以前から、杏は言っていた。
『この世は腐ってる。これは、リセットでもしなきゃ直らない。』
『あたしにしか、できないんだよ…きっと。』
冷静な杏は、学校でも少し浮いていた。
杏の言うことは殆どが正論で、教師にも容赦はない。
そしてストレートな物言いも、彼女を学校で浮いた存在にした。
それが原因でいじめられたこともあったが、彼女には通用しなかった。
杏は実行犯と計画した者を割り出し、多くのクラスメイトが見ている教室で、返り討ちにしたのだ。
『まったく、こんな陰湿な方法でしかあたしとやりあえないとはね…愚か者だな。覚悟もないくせに。』
首謀者に向かって言った台詞だ。
因みに実行犯・計画者を割り出すために、劉の力を借りたことは秘密にしてある。
それ以来、杏に真っ向から向かっていく者もいじめようとする者も、殆どゼロに等しくなった。
「…彼女は頭もよかったからな。同じ理系でも、僕とは格が違う。」
「まぁ、機械はあんまり使えないみたいだったけど。」
授業でパソコンを使う時に、唸りながら四苦八苦している様子が頭に浮かんで、思わず笑ってしまった。
そういうときの杏は、幽霊を自分の目で見てしまった、幽霊を信じていない科学者のような表情をしている。一体なんだというんだ、ありえない、どうなっているんだ、という顔だ。
私はそれを必死で見ないようにしていた記憶がある。見れば大声で笑ってしまいそうだったから。
「こんな状況で、よく笑えるな。」
冷ややかに劉が言った。だが、私には杏をとめる方法が思いつかないのだから、仕方がない。
それならいっそ笑っていた方がいいではないか。と思うのだが…
「…それより、君のほうから杏に連絡できないのか?」
「試してみたけど、駄目。電源切ってるみたい。」
「そうか…」
ふと、劉がすぐそばに置いてあったパソコンの画面を見る。新しい情報でも入ったのだろうか。
何かの文書を読んでいるらしく、劉は黙り込んでしまった。
仕方がないので、私は研究所内を見回してみた。
研究所には5つの扉がある。その中でも最も大きな扉が、正面玄関になっている。
残りの扉のうちの1つは廊下、2つは隣の部屋と繋がっていて、残りの1つは天井についている。まったく妙な施設だ。天井に扉なんかつけて、どうするというのだろう。まさか天井から人が入ってくるとは思えないし…今度聞いてみようか。
正面玄関から見て、目の前に立ちはだかるのは巨大な機械たちだ。中には高さが10メートルを超えるものもあるので、天井は高く作られている。何の機械なのか、昔聞いたような気がするのだが、覚えていない。劉が私に説明するときにやたらと専門用語を使うからだ。
そしてその機械の後ろに、劉やその同僚たちのデスクがある。私は今その辺りにいる。
「…くそっ!やられた。」
「どうしたの?」
劉が突然声を上げた。それも、劉にしては珍しいことに、苛立ちがこめられている。
しかし、どうしたのかと訊いているにもかかわらず、劉は何も言おうとしない。
私は劉が見ているパソコンの画面を覗き込んだ。
…なんだ?これは。
物凄い、英語の羅列だ。
英語があまり得意ではなかった私には、羅列としか思えないものが画面に表示されていた。
劉、英語得意だったのか…
というわけで、私は劉の説明を待つしかなかった。
「………」
無言で受話器を取り上げる劉。
「何があったの?」
「…かなり、状況は深刻のようだ。」
それしか言わない。
もう少し教えてくれたっていいのに…
そんなことを考えているうちに、劉は受話器を置いた。
「…留守だったの?」
「それを、これから確かめる。」
その言葉の裏に、単に留守ならいいんだが、という意味が含まれているような気がする。劉の表情からも事の深刻さがわかる。
デスクの前に座り、何やらキーボードを叩き始めた。そしてもう一度どこかに電話をかける。
だがやはり相手は出なかったらしく、電源ボタンを押した。
そしてまた次、と繰り返す。キーボードを叩くのも忘れない。
数分が経ち、私までイライラしてきた頃、ようやく相手が出た。
英語で何かを話し始める。私には何を話しているのか見当もつかなかった。やがて劉が受話器を置いた。
「…また2人、消えたそうだ。さっきから情報が来るのが遅いと思ったら…情報源が消えていたとはね。」
「また消えたの?!」
「ああ。どうやらそうらしい。僕たちに残された時間は、僕たちが思っている以上に少ないようだ。急ぐぞ。」
「い、急ぐって…どこに?」
「杏の研究所だ!」