「それじゃあ、鳳はそっちのレバーを引いて、劉はその赤いボタンを押して!」
「おい、赤いボタンってどのボタンだ?たくさんあるんだが…」
「クリムゾン・レーキのボタン!」
「どれだよ。」
そんなコントじみた会話を聞きながら、私はあることを考えていた。
さっきの、杏の表情。
それに、後戻りはできないという言葉…
何か裏があるような気がして、ならなかった。
…このレバーを引けば、過去に遡り始める。
そんな大切な動作を、私にさせるだろうか?
普通、自分でやるんじゃないのか?
杏はというと、椅子に座ってこちらを見ていた。
何をするでもなく、ただ見ていた。
私は、レバーを持ち、それを思いっきり
真下に下ろし、レバーを壊した。
「なっ…!」
「鳳っ!」
「杏、もう嘘をつくのはやめて。本当のことを言って。」
「ほ、本当のこと…さっき言ったでしょ?」
私は首を振る。
「まだ何か隠してる。お願いだから、もう…やめて……」
「……はあ、うまく騙せたと思ったのにな…」
残念、とばかりにため息をついた。
やっぱり、嘘をついていたんだ…
「これを言ったら手伝ってもらえなくなるだろう、と思って言わなかったんだけど…そこまでわかってるんだったら、足掻いても無駄だろうし、話すよ。」
「本当の目的は、何なの?」
「復讐だよ。」
さらり、と杏は言った。
「あたしは、あたしの発明した物たちを愚弄したやつらに復讐するために、ネメシスを作った。あいつらはいつだって自分たちが正しいと思っている。そしてあたしの作ったものは偽物で、自分なら本物が作れると考えてる。そんな驕りに対する怒りが、ネメシスを作った。いわば、ネメシスはあたしの怒りを具現化したものなんだよ。」
ネメシス――人間の驕りに対する神々の怒りと罰を擬人化した女神。
その女神が持つ剣の切っ先は、既にその対象に向けられていたのか。
「そこで、あたしは考えた。ネメシスを見せたところで、何も変わらないのはわかっていた…だから、アメリカ大統領の元へ向かったんだよ。ネメシスの起動準備をして、発動させるためのボタンを持って。自分の身を持って確かめろってね。」
そして杏は、少し遅れて大統領をパラレルワールドに送った。
多くの人間をパラレルに送り、国々を沈めた後に。
「大統領は思い知っただろうね。あたしの発明が本物だったってこと。だけどそれだけじゃ足りない。だから一人向こうに刺客を送り込んでおいた。」
「刺客…?」
頷く杏。
「同志の一人を送ったんだよ。その人にはネメシスの分身を持たせて、もう一つの実験を進めてもらっている。」
「杏…君は、まさか…」
「そう。時間を少しずつ早め、連中に気づかせる。この時間の速さは異様だ、と。向こうのニュースにでも取り上げられたら、ネメシスを見せる。そして、一時的に時間の流れを元に戻す…とにかく、こちらが時間を操れるということを知らしめるんだよ。」
「そんなことをして、どうするの?」
私が問うと、杏はくすりと笑った。
「100年ぐらい先の未来を、見せてやるんだよ。だけど、戻してやらない。当然連中は焦るだろうし、なんとかしようと考えるんだろうけど、修正が不可能なところまで進めるつもりだから、無理だろうね。」
「無駄に足掻かせて、それで?」
「そうすると、ネメシスに頼ろうとするやつが出てくるだろうね。時間を操れることがわかってるから。そういうやつがでてきたら、仕上げ。同志にはこう言ってもらう。『私は先に進める方法しか知らない。どうやったら過去に戻れるのかがわかるのは、淺川 杏しかいない』ってね。」
「…杏を探させても、当然見つからない。そうなったら、もうどうしようもない…」
「もうわかった?パラレルは崩壊し始め、人々は絶望する。そのタイミングで同志と一緒にこっちに連れてくる。これでも信じないやつがいたら、もう一度パラレルへ送り込んでやるさ。」
「………」
「子供じみた発想だって笑いたければ笑ってもいいよ。私はこれを変えるつもりはないから。これで隠してたことは全部。二人とも、悪いけど応接室に行ってくれない?最終調整をしたいから。」
「ひとつ、訊いてもいい?」
「何?」
「何で私にレバーを引かせたの?」
「…鳳がどう出るか、見たかったからだよ。」
応接室で、私と劉は杏を待っていた。
「あんなことをするほど、屈辱的なことだったのかな…」
私はつぶやいた。実際に言われているところを見たわけではないので、どれほどのものだったのかわからなかった。
けれど、あの怒りから察するに、きっともっと酷い言われ方もしたのだろう。
「杏にとって、機械を生み出すということは、杏が生きる理由だったからな。無理はないんじゃないか?」
「…そっか……」
それっきり、私たちは喋ろうとしなかった。
時計の秒針が動く音だけが、部屋の中に響いた。
だが、その沈黙も長くは続かなかった。
荒々しく扉を開いたと思うと、硬い表情の助手が入ってきた。
「な、何かあったんですか?」
「………が……ったんです…」
声が小さすぎて聞き取れない。
「今、なんて言ったんですか?」
「崩壊が…始まったんです…」
「…っていうことは、もうすぐパラレルにいた人がこっちに送られてくるってこと?」
助手は首を振った。なんだか、嫌な予感がする。
「この世界の、崩壊です。原因は不明です…」
「!」
この世界が…崩壊する…?
「パラレルに避難出来ないのか?」
「パラレルワールドの方の世界は、もうありません。」
「ない…って、どういうことなんだ!」
「あたしから説明するよ。」
いつからいたのか、杏が開いたままの扉の向こうに立っていた。
「全部…あたしのミスなんだ……」
「パラレルは…どうなっているの…?」
「……パラレルワールドは、既に崩壊した。真っ先に、あたしの同志が死んだんだ…だから、気づかなかった…」
悔しそうに、杏は言う。
「この世界も、もう長くは持たない。何とかして…方法を……」
「もう一つパラレルを…」
「そんな簡単にできるものじゃないんだ!何年何ヶ月とかかるんだよ…そんな時間はない……それにここは海の近くだから、もう余裕なんてない…あと10分もかからないだろう……」
「そんな…そうだ、ネメシスは?」
「こんなときに限って、全プログラムが停止した。再起動には20分以上必要だから…使えないんだ。」
「…なんとか、ならないの?!何か……」
万策尽きた。
その言葉をこれほど思い知ることになろうとは。
「残念だけど…もう、手立てがないんだ…」