車のエンジンをかけ、現場に向かおうとした時だった。
突然携帯電話が鳴り響いた。
「もしもし。」
『…予定変更だ。今すぐ署に戻れ。』
「どうしてですか?そっちは大丈夫なんじゃ…」
『……とにかく、予定変更だ。早く戻って来い。大変なことになっている。』
「ま、待ってください!大変なことって……」
上総が訊いた時には、携帯電話は切れていた。
「…どうした?」
裕が隣で尋ねる。
「署が大変なことになってるから、今すぐ戻れと。詳しい内容は不明です。」
「……あっちでも、動きがあったのかもしれないな……」
ぼそり、と裕が呟いた。
「…動き、ですか?」
「…早く署に戻るぞ。犯人に先手を打たれたかもしれない。」
裕の真剣な表情に、上総は気合を入れる。
「大丈夫だ。次の被害者…籐野さんの家には別の刑事をつけさせる。誰も入れないようにしろと伝えておく。」
「…わかりました。」
上総はアクセルを踏んだ。
署の前まで来たものの、変わった様子はない。
「…何なんでしょう、大変なことって……」
「さあな。行けばわかるだろう。」
上総は正直、戻るのが怖かった。
既に自分が知る署ではないかもしれない。
そんなことが何度も頭をよぎった。
「…覚悟、できたか?」
裕が問いかける。
覚悟。
それをしなければ、きっと……
死ぬ。
今回の犯人は、恐らくそういう奴だ。
「……はい。」
上総がそう言うと裕は少しだけ笑った。
「…じゃあ、行くぞ。」
「……はい。」
2人は署に足を踏み入れた。
慌しい。
そういう形容がぴったりの雰囲気だった。
「白木警部、これは一体…」
「澤見刑事、的家警部補。2人にもこの捜査に加わってもらう。」
「…どういうことです?」
裕が静かに問うた。
「……爆弾だ。この警察署の周りと建物の中に、合計1000の爆弾が仕掛けられているという通報があった。」
「誰からですか?」
「……今回の事件の犯人と名乗る人物から、だ。」
苦々しい表情で、白木は言った。
それは裕が想像していたことの1つであり、最悪のパターンだ。
「……やられたな…」
「どうしてですか?別に犯人なら捕まえられるでしょう?」
上総は裕を見て言った。
「いや、少なくとも…ここから逃げることは簡単だろう。これ以上人員は割けない。」
「そ、それは、そうですけど…」
「それに、仮に国外逃亡されたらどうなる?そこで顔を変えられてみろ。追うのは困難を極める。」
苦渋の表情で裕が言う。
上総は、黙るほかなかった。
裕の言っていることが正しいということは明らかだった。
「…爆発するのは今日の午後8時だそうだ。」
白木が告げる。
「今が午後5時…あと3時間か…難しいな。」
「200人いるんだ。一人5個見つければいい。だから…頼んだぞ。」
「はい。」
「わかりました。」
裕と上総は署内を探すことにした。
ゴミ箱、天井裏、机の下…
いろいろなところを探したが、それらしい物はない。
「…もし、これが嘘の情報だったら…どうしますか?」
「それは、あり得るな。だが……もし、なんてことを考えている暇は、俺たちにはない。」
裕はきっぱりと言った。
ただ、ゴミ箱をあさりながら言っているので、あまり格好いいとは言えないが。
「…そうですね。それに本当なら、近所の住民にも被害が及ぶ可能性がありますし…」
だが、上総は疑問だった。
もし通報が本物なら…何故そんなことを言う必要があるのだろう。
それに、1000もの爆弾を、誰にも気づかれずにできるのだろうか。
警察署内にそれだけの物を持ち込めば、不審に思う刑事もいるだろう。
それだけが気になっていた。
それを裕に告げると、
「…まあ、確かにそうかもしれない。だが、この警察署の一部は一般の人でも見られるようになっているからな…そこだけなら荷物のチェックもしないらしい。するとしても簡単なものだろう。」
「でも…1000個の爆弾ですよ?さすがにそんなにも持ち込むのは怪しいでしょう。何度も同じ人が来るのも不審に思うでしょうし。」
「……そうだな。……やはり、嘘という可能性が高いのは否めないか…」
「そうですよ。ですから、早く籐野さんの家に―――」
「そう焦るな。焦りは冷静な判断を下せなくする。」
ぴしゃりと裕が言った。
「俺が言ったのは、爆弾の個数についての話だ。強力な爆弾を1つか2つほど1階に仕掛けておけば、倒壊してもおかしくない。うまくすれば全壊だ。」
全壊、という言葉が頭にこびりついた。
それが、犯人の目的なのか?
警察署を壊すことが…犯人の…?
「建物を壊すだけが、犯人の目的なんでしょうか……」
「…仮に、爆弾がその数…1000も仕掛けられていなかったと仮定しよう。爆弾の捜索を行うが、勿論そんなに出てくる訳がない。だが、付近の住民のことを考えるとギリギリまで探すのだろうな。そして、その途中で爆弾を爆発させる……そうすれば、どうなる?」
「……多くの警察官が、爆発に巻き込まれるでしょうね。」
「もしかしたら、それこそが犯人の目的なのかもしれないな。しかし…だからといって逃げる訳にもいかん。今できるのは、俺たちにとっての最善を尽くすことだ。…わかったか?」
裕が落ち着いた目で上総を見た。
上総は考える。
何が最善なのか。
今何をすべきか。
この2つは答えがはっきりしている。
即ち、爆弾を探し、そのすべてを見つけること。
それが最善であり、今すべきことだ。
しかし…上総はまだ納得がいっていなかった。
そもそも、事件の背景も、この爆弾騒ぎも不明な点が多すぎる。
例えば何故、通報が早かったのか?
わざわざ警察にヒントを…傷痕の地図を残したのか?
そして、何故爆弾を仕掛けたことを、警察に通報した?
おかしい。
何かが引っかかる。
もしかして……
「…俺たちは、最初から犯人の手のひらの上にいた…ここまで筋書き通りに…すべてが犯人の思惑通り……」
上総の頭の隅にあったものを呟いてみるが、言葉にしても何も思い浮かばない。
「……何?」
裕がどういうことだと言わんばかりに上総を見た。
「あ、いや…ただの思い付きです。すみません…」
「……いや、もしかしたら…そうなのかもしれないな。」
意外にも、あやふやで曖昧な意見に、裕は同意してくれた。
「…少し、考えてみるか。」
「え……何をですか?」
「だから、お前が今言った事だ。筋書き通りだとしたら、次に何をするつもりなのか…俺たちを間違った方向へ向けようとしてくるのは確実だろう。」
もっともな意見だった。
「まあ、現段階で既に間違った方向を進んでる可能性も否めないが。」
「…あの、今思ったことなんですけど…」
上総が控えめに言う。
「あの傷痕が警察を示している、となれば…次の被害者が殺害された後に爆発するってことなんじゃ…」
「……傷痕の矢印が完成してから、ということか?」
「はい。今までも警察に手出しはしなかったことから、そうなのではないかと思うんですけど……」
自信なさそうに上総は言った。
裕は黙って考え込む。
「………逆だ。爆発時刻が午後8時だと宣言しているのだから、その言葉に嘘がない限りは…今から8時までの間に、籐野家に犯人が殺害目的で行く可能性が高い。傷痕の矢印が完成するまでは、警察に仕掛けてこない、という仮定の上での話だが。」
「あ、そうか。」
「そうすると…可能性は低いが、犯人が殺人に失敗すれば、警察は襲ってこないかもしれない。犯人がどこまで自分の美学を貫いてくるかにもよるが……」
「び、美学…ですか?」
「つまり、籐野さんの殺害に失敗したとしよう。そうすると矢印が完成しない。だから襲わない…犯人がそこまでこだわるとは思えないが…」
裕はかなりの低確率の話をした。
だが、上総はそれに希望を見出した。
「でも、可能性はゼロじゃないんですよね?それならやりましょうよ!確実に犯人を捕まえて、籐野さんも安全な方法を思いついたんです!」
「……それで、本当に大丈夫なのか?その作戦は。」
「…多分。」
上総の言葉に、裕は溜息をついた。
「まあ、人命が最優先だからな。上に掛け合ってくるよ。」
「あ…ありがとうございます!」
裕はそう言って上の階へ向かった。
数分後、裕が戻ってきて、
「…可能性があるのなら、行け。そう言われた。」
「…!それじゃあ…」
「ああ。行くぞ。」
上総たちは入り口に戻った。
警察署を出てすぐに裕は携帯電話を取り出し、籐野家に電話をかけた。
その間に上総は乗用車に乗り込み、エンジンをかける。
1分1秒も惜しかった。
裕が電話をかけ終えて車に乗り込むと、急いで籐野家に向かった。